〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/07 (土) 

旅 順 口 (十五)

閉塞の実施計画に「ついては、中佐有馬良橘は、少佐広瀬武夫らと案を練った。
港口に沈める汽船は、五隻である。天津てんしん 丸、報国丸、仁川丸、武揚丸、武州丸で、それぞれ一隻につき十四、五人乗る。総人員は指揮官、機関長をのぞくと、六十七人が必要であった。
下士官以下の人員は、ひろく艦隊から志願者をつのった。
たちまち二千人が応募し、有馬や広瀬を驚かした。なかには血書をして志願する者もいた。
「このいくさは勝つ」
と、広瀬は真之に言った。広瀬の言うには自分たち士官は年少の頃から志願し、礼遇を受け、戦いで死ぬことを目的としてきたが、兵は外国でいうシヴィリアンの出身である。それらがすすんで志願したということはこの戦争が国民戦争である事の証拠である。広瀬がそんな事を言うのは、彼がロシア通だからであろう。広瀬は開戦の前に帰国しているから開戦後のロシアの事情はわからないが、しかし、想像は出来た。帝政ロシアの国民は、皇帝のシナにおけるあたらしい財産をまもるためのこの外征を喜ぶほど単純ではない。すでに都市では革命の気分があり、帝政そのものが危なくなっている。広瀬はそのことをよく知っている。
二千人から、もっとも肉親の係累の少ない者という基準で、六十七人が選抜された。
二月十九日の午後六時、東郷は旗艦三笠の艦上にこの閉塞隊の士官を招き、送別の宴を張った。広瀬はむろん、主賓しゅひん の一人である。送る側として真之も出ている。
一同席に着くと、東郷はゆっくり立ち上がり、卓上のシャンペン・グラスをあげ、低い声で、
「このたびはごくろうである。十分成功をのぞむ」
とだけ、述べた。無口な東郷としては長すぎるほどの挨拶であった。
── 十分成功をのぞむ。
と東郷は言ったが、はたして成功についてどの程度の公算が胸にあったか疑問である。
第一、立案者で実施上の総指揮官でもある有馬良橘も胸中、その疑問が強かった。
この閉塞作戦は夜間行われるのだが、闇に中で勘に頼る作業だけに、うまくゆくかどうか、おぼつかなかった。有馬の計画は夜明け前に突入してほのぼの夜明けと共に開始するつもりであった。むろん、太陽の下の仕事だから、全員戦死するだろう。
ところが東郷は、その計画の時間を変更させて夜間にさせた。夜間ならば作業後全員を収容する事が出来る。これによって生還の公算が大ききなるが、しかしそれに比して成功率も少なくなる。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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