〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/05 (木) 

旅 順 口 (十一)

その射撃も正確で、日本側の第二艦隊にびしびし当った。
「あまるでありゃ、はやぶさ じゃが」
と、第二艦隊の三番艦八雲の艦長松本有信は、ノーウィックの単艦突っ込みのすさまじさにあきれた。
むろん、ノーウィックは背後の要塞砲の援護は受けているというものの、三千トン強の小さな三等巡洋艦にすぎず、こちらの第二戦隊は巡洋艦編成ながらもみな一万トンちかい大艦で、しかも旗艦出雲を先頭に、吾妻、八雲、常磐と五隻そろっている。
ノーウィックとしては勝ち目があるはずはなく、げんに日本側各艦はそれを無視し、はるか向こうに引っ込んでいる大型艦をめがけて砲弾を送り続け、ノーウィックを無視した。
八雲だけがノーウィックにとりかかることにした。その主砲が、火を噴いた。
初弾がノーウィックの中央部に命中し、艦上の施設を吹き飛ばしたが、驚いたことに彼は怯みも見せずに動きまわり、射撃をつづけた。八雲は、意地になった。
八雲ほどの大艦が、この猟犬のような小艦にかかりきりになり、猛射を加えたが、意地になればなるほど当らなくなり、そのうち八雲は港口をかすめて過ぎてしまい、射程外に去った。
上村長官は、東郷直率の第一戦隊につづいて各艦を回頭させた。回頭のため運動がにぶった。
そこが、ロシア側のつけめになった。全要塞砲がうなり、港口の旅順艦隊各艦の各艦の発射速度がどんどんあがった。
この時八雲は一弾を受けて負傷者一。吾妻には一弾命中。軍艦旗が消し飛んだ。磐手は二弾を受けて砲術長以下十人が負傷した。
旅順要塞の威力のすさまじさを、日本海軍は見にしみて知った。
はるか左手に遼東半島の先端である老鉄山の岩肌が白くうかび、そこだけが火を吐かないだけで、他の峰々や岩礁はすべて真赤になるかと思われるほどに火を吐きつづけた。なかでも黄金山こがねやま と電気礁の砲台のすごさは、近代要塞というものがどういうものかということを、洋上の日本人すべてに教えた。
(旅順に比べれば米軍が封鎖したサンチアゴ要塞など、こどもだましだ)
と、日本側の作戦担当者である真之自身が内心おどろいていた。
そのなかで、ノーウィックだけが相変らず駈けまわっている。第二戦隊が去ったあと、順序として第三戦隊が登場する。千歳 (四七六〇トン) を旗艦に四隻の二等巡洋艦をもって編成されており、ノーウィックはこれにも迫った。この艦だけでなく二等巡洋艦アスコリド (五九〇五トン) まで艦列を離れて出て来た。その猛攻がすさまじく、第三戦隊はこれ以上戦えば一艦ぐらいは失うかも知れないという危険におちた。
東郷ははるかにこれを見ていて、
「第三戦隊は、弾着距離外に出よ」
と、脱出を命じた。東郷にすればつねに念頭にバルチック艦隊との決戦があり。それまで一艦でも失いたくなかった。
第三戦隊はいそぎ脱出し、やがて日本の連合艦隊そのものがこの水域から去った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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