〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/04 (水) 

旅 順 口 (九)

この海戦は後に、
「旅順口外の海戦」
と言われたが、日本側は必ずしも成功していない。
東郷は、前艦橋に立っていたが、彼の双眼鏡が最初に港口の敵艦をとらえた。ついでながら彼の持っている双眼鏡だけが日本海軍でただ一個のツァイス制の八倍という最新のもので、横にいる島村参謀長や秋山真之はいずれも二倍程度の旧式双眼鏡しか持っていない。このため、三人のうち東郷がつねに真っ先に敵を見つけた。
「ホウ、見えますか」
大きな体の島村が、感心したように声をあげたのは、一種の人徳だったかも知れない。このため、幕僚の気分がやわらうだ。
ロシア側ののんきさは、前夜に日本の水雷奇襲でやられたときの姿のままに港口にかたまっていたことであった。大破三艦が座礁ざしょう したままであるのは仕方がないとして、他の諸艦もたいていいかり をおろしている。戦艦が七隻、巡洋艦が七隻、その他駆逐艦、砲艦が雑然として一団をなしている。
東郷は、それを双眼鏡でとらえつづけていたが、やがて敵との距離が八千五百メートルになった時、針路を転じた。東より西に向かい、敵の正面を通過するかたちをとった。挑発のためであった。
敵は、やっと狼狽した。あわてて錨をあげる艦もあれば、黒煙を吐いて右転しようとする艦、左転して港内へ逃れようとする艦など、まるで無統制であった。
これについて、ロシア側のブーブノフ大佐は手記を残している。
これより少し前、日本の偵察部隊である四隻の巡洋艦が港口の様子を探りに来たとき、ロシア側の三等巡洋艦ポヤーリン (三〇二〇トン) が突出してそれを追ったりひっこんだりした騒ぎがあったのだが、ブーブノフ大佐の手記によると、
「この時ロシア側は、かんじんの司令長官が艦隊にはいなかった」
と言う。司令長官スタルク中将は旗艦に座乗していたのだが、このさわぎの最中に極東総督アレクセーエフに呼ばれるという奇妙な事態になった。
「事情を訊きたい」
と、アレクセーセフは言う。この総督はむろん旅順市街の総督官邸にいる。
海上からそこへ行くには往復一時間はかかる。スタルクは旗艦を降り、汽艇に乗り、上陸後は馬車で駈けた。
その間に洋上の東郷は三笠に戦闘旗を掲げ、距離八千メートルにおいて三笠の前部十二インチ砲で試発弾をうちあげ、敵艦群のまわりに落下させた。つづいて東郷は距離七千五百メートルにおいて全艦隊に砲撃を命じた。ときに午後零時九分である。
旅順口うぃハリネズミのように武装しているあらゆる砲台が咆哮ほうこう しはじめ、港口の艦隊もやみくもに射った。
その中でも。電気礁の砲台が他よりも格段の差で射撃能力が高く、三笠はたちまち三発の巨弾をうけ、そのうちの一弾はメイン・マストを擦過し、揚旗索を切った。さらに他の落下弾が幕僚など七人を負傷させた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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