〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/04 (水) 

旅 順 口 (八)

ロシアの宮殿で意気の揚がらぬ戦勝祈祷式が行われている二月九日の朝、ほぼ同時刻に、東郷は黄海洋上にいた。
主力艦隊を率い、旅順港に向かっていた。港口外のロシア艦体に対し、決戦を挑むためであった。全部つぶしきってしまわねば、敵の本国艦隊をむかえることが出来ない。
ついでながら彼は洋上の待機点で、前夜の駆逐艦による水雷攻撃の結果を知った。
「敵の巨艦三隻に損害を与えたり」
という電報を、東京へ送った。撃沈しなかったことが、東郷にとっては期待はずれであった。
ともあれ、東郷は主力率いて旅順に接近した。
「参謀長、一回ないし二回がよいと思います」
と、航海中、秋山真之は島村速雄大佐に言った。この主力による旅順襲撃の実施のことである。東郷としてはバルチック艦体が来るまでにぜひとも旅順艦体をつぶしておかなければならなかったが、かといって旅順との戦いにあまり熱中して当方が大きな損害を受けてしまうと、バルチック艦隊と戦う戦力がなくなってしまう。東郷に課せられている課題は、当方は無傷で先方を全部沈めておくという困難なものであった。
ところが、のち旅順のロシア海軍はこの手に乗るまいとした。日本側とはほぼ同じ兵力を持っているにもかかわらず、 「要塞艦体主義」 をとった。港内深く引き籠り、要塞に守られてひたすら消極主義を取る方法である。東郷を追っ払うための砲戦はもっぱら陸軍の要塞砲に任せるというものであり、いずれ将来、来航スするであろうバルチック艦隊の出現まで港内で待つ。たとえ港外に出ても、
「要塞砲の射程内にとどまれ」
というのが、司令長官スタルクが全艦隊に発した命令であった。スタルクの戦術は算術的にはたしかだった。しかし彼は士気という戦争にとってきわめて重要な要素を計算に入れなかったのは、失敗であったろう。このスタルクの主義は、結果としては旅順艦隊の士気を大いに低下させた。
東郷は、航行している。
旗艦三笠を先頭に、単縦陣であった。二番艦は、朝日である。以下富士、八島、敷島、初瀬、さらに第二艦隊の出雲、吾妻、八雲、常磐、磐手、第三艦隊の千歳、高砂、笠置、吉野とつづく。
旅順口に近づくと、おりから外洋にまで顔を出していた二等巡洋艦ディアーナ (六七三一トン) が、日本艦隊を発見するや、大胆にもどんどん接近して来て、挑発した。
要塞砲の射程内に日本側を引入れようとする擬態であった。
かやて、ディアーナは反転し、退却しはじめたが、逃げながら旗艦三笠に向かってその艦尾砲を発射した。三度発射した。
水煙が三笠の前後に落ちたが、命中弾はない。東郷は、前艦橋に立っている。
彼は、戦闘旗を掲げさせた。三笠が掲げた最初の戦闘旗であった。さらに東郷は、真之に命じ、一連の信号旗をつづ らせた。たちまちマストに上がったのは、
「勝敗の決、この一戦にあり、各員努力せよ」
という信号であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
Next