〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/03 (火) 

旅 順 口 (五)

この当時の駆逐艦というのは、艦という名前がやっと付けられる程度の小船で、二百トンから三百トンそこそこのものであった。魚雷は二本だけかついで行く。
── 射つと、すぐ逃げろ。
ということになっている。
闇夜の航海であった。たとえば目標の敵艦が二千メートル向こうにいるとして、こちらは機関の回転数を規則正しくし、十二ノットの速力で波を割って行く。その速力によって時間を計って敵艦との距離を刻々分かるように計算してゆく。千メートルぐらい近づくと、闇夜でも双眼鏡でうっすらと敵の艦影かもしれぬという影が分かるようになってくる。
この襲撃で魚雷を食らった巡洋艦パルラーダ (六七三一トン) のばあいでいうと、この夜まったく無警戒であった。そのくせ戦争が近いというので、夜が明けたら出港して対馬つしま 海峡辺りへ警戒に出よという命令は受けていた。夕刻までに石炭を満載した。
明日は出港ということで、艦内の緊張はそれなりにあったであろう。
この夜、何人かの高級士官が上陸していた。
当直士官の一人は任官早々の若い少尉で、彼が最初に日本の駆逐艦群の接近を見た。
四隻であった。まさかそれが日本の駆逐艦であるとは、思わない。煙突が四本であった。艦形は、ロシアのネーフスキー造船所の駆逐艦に似ていた。
「あの駆逐艦はなんだ」
と、少尉は信号兵を振り返ろうとしたとき、その怪船から閃光せんこう がきらめくのが見えた。いくら未経験の少尉でもそれが魚雷発射時におこる閃光であることは、わかった。
魚雷の白い航跡も見えた。
「左舷に魚雷」
と少尉は叫んだが、艦はイカエイを下ろして座り込んでいるため、避けることが出来ない。その直後、天地が裂けたかと思われるような大轟音ごうおん がおこり、三七三一トンのバルラーダの艦体がはげしく震動し、甲板が坂になった。艦体が右にかたむいた。爆発にともなって海水が巻き上げられ、やがて大水柱になるのだが、それがくずれて滝のように甲板にふりそそいだ。
艦内は大騒ぎになった。兵士や下士官が駆け回り、砲員たちは士官の命令もきかずに砲にとりつくと、暗い海面をめがけてやみくもに射ちはじめた。
戦艦ツェザレウィッチ、同レトウィザンの場合も似たようなものであった。
港口のあらゆる艦から砲声があがり、二十数本の探照燈の光芒こうぼう が、くるったように海面をいそがしく掃きはじめたが、日本の駆逐艦たちはねずみのように走りすぎたあとだった。
しかし日本のこの水雷攻撃部隊も、きわめて不手際だった。ぜんぶで二十本の魚雷を射ちながら、戦艦二、巡洋艦一を大破させただけで終わった。大破三艦とも、二ヶ月の修理で戦列に復帰できる程度の手傷であった。条件のよさから見れば、考えられぬほどに貧しい戦果しかあげられなかった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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