まったく旅順のロシア艦隊は油断し切っていた。 各艦とも水雷防御網をほどこしておらぬばかりか、ロシア艦隊は、ちょうど鴨
が昼寝をしているような恰好で港口付近に数珠じゅず
繋ぎに並んでいた。そのうち戦艦は海岸近くにイカリを下ろし、巡洋艦の群れはやや沖合いに位置している。 それを狙って日本の駆逐隊が港口に接近したのは八日夜十時半ごろであったが、すぐには突入せず、敵情を知るため港外で二時間あまりをついやした。その間かん
、ロシア側の探照燈がしきりに洋上を掃くように照射した。 そのうちロシア側の哨戒任務の駆逐艦が二隻、探照燈を照らしながら近づいて来たことが、日本側の実施秩序をくるわせた。 この時日本側は、第一から第三までの駆逐隊十隻が魚貫形ぎょかんがた
をなして進んでいたが、その先頭の隊があわててしまい、ロシアの哨戒艦にみつけられまいとしてにわかに速度を緩め、しかも後返りをはじめてしまった。このため後続する戦隊は混乱した。夜間なのである。しかも無燈火であった。すっかり隊列が乱れ、駆逐隊のなかには自分の艦の位置までwからなくなったのもいた。 こうなった以上、あとはばらばらで攻撃せざるを得ない。各艦は闇の中をやみくもに進んだ。この無秩序が、ロシア側の不用意にもかかわらず、日本側の戦果が大きくなかった原因をなした。 もっともロシア側にも、信じられぬほど重大な失敗があった。せっかく日本軍の奇襲を発見した二隻の哨戒駆逐艦が、発砲しなかったことであった。発砲しないばかりか、現場を捨て、司令部に報告すべくそのまま港口へ引き返してしまったことであった。発砲しなかったため、碇泊中のロシアの艦隊はその眠りから醒まされることがなかった。そこを日本の駆逐艦が魚雷を抱いて突っ込んだ。 この二隻の哨戒駆逐艦の行動は信じられぬほどに間抜けているが、しかし正当な理由があった。これより前、およそ常識外の指示が、スタルク司令長官の命令としてこの二隻に申し渡されていたのである。 これについて、この港内にいた砲艦ボーブル
(九五〇トン) の艦長ブーブノフ大佐が、のち 「旅順」 という回想記に書いている。 「この夜の二隻の哨戒駆逐艦には、スタルク司令長官から、敵の奇襲を発見しても決して射撃をしてはならない、もし疑わしきものを発見したときは引っ返して長官じきじきに報告せよ、との訓令を受けていた。やがて彼らは日本の駆逐隊を発見して驚いたが、しかし両艦の艦長は命令に忠実だった。射撃をせずに、そのままおとなしく引っ返し、やがて司令長官に報告すべくその旗艦に接近したとき、はるか背後の闇で巡洋艦パルダーラが大火柱を噴き上げた」 日本軍の攻撃がはじまったのである。 |