〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/03 (火) 

旅 順 口 (三)

旅順にいるロシア艦隊にとっての不幸は、日本の開戦に気づかず、ましてこの夜、駆逐艦隊による奇襲部隊が近づいていることを気づかなかったところにある。洋上を広く哨戒しょうかい することもしていなかった。
そのくせ皇帝の最も重大な勅電が、アレクセーエフ極東総督あて、すでに届いていたのである。
「日本は開戦するかも知れない。もし日本艦隊が韓国西岸に現れて北進するのをみつければ、けい は彼らの発砲を待たず、彼らを攻撃せよ」
というものであった。
しかしこの夜、旅順は、いかなる危険をも予想することがおろかしいほどに平穏であった。
さらに悪いことに、この日はマリア祭であった。ロシアの宗教習慣としてこの聖母マリアの名にあやかったマリアという名の女性を祝賀することになっている。
陸軍の将校たちの一部は、軍医長の夫人がマリアであるため、この夜礼装してその官舎に行き、夫人を中心に酒宴を開き、ダンスに興じたりしたが、もっとも不幸であったのは、艦隊の司令長官であるスタルク中将の夫人がマリアであることであった。
このため司令長官夫人は部下の将校多数を官邸に招き、祝賀の夜宴を催した。気のきいた会話と典雅な舞踏は、小規模ながら首都ペテルブルグの貴族たちの夜宴を思わせ、宴はよういに果てず、夜半に及んだ。このとき、彼らのいう非文明的な が、港口に忍び寄っていたことを、予感する者もいない。
午前零時三十分ごろ、突然、ゆか をゆるがすような爆発音が聞こえ、数度続いた。
「なにごとだろう」
と、スタルク中将は、一座の興が自分の驚きで醒まされぬよう、出来るだけ悠揚ゆうよう とした挙措きょそ で、となりの将校に聞いた。
将校の数人が広間を出て、陸軍の要塞参謀部に問い合わせた。要塞参謀部の返答ものどかであった。
「戦艦レトウィザンが、夜間の射撃練習をしたものだと思う」
ということであった。
一座は安堵あんど して、ふたたび宴がつづけられたが、三十分ばかりすてすさまじい砲声が窓ガラスをふるわせた。
一座はやや不安の色におおわれたが、しかし座を立つほどの者はいない。彼らは自国艦隊の巨大さと威力を信頼しきっていた。このあとほどもなく警報が鳴った。
初めて彼らは日本軍の襲来を知り、狼狽ろうばい し、戦闘服に着かえるゆとりもなくそのままの服装で、それぞれの任務の場所にむかって走った。司令部も艦隊も要塞も、駈けわめく人々で騒擾そうじょう し、その混乱は名指し難いほどであった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
Next