二月六日朝佐世保を出た連合艦隊主力が、旅順口の東方四十四海里にある円島
付近の洋上に達したのは、八日午後六時である。 波は静かで、北西風がわずかに吹き、天はやや赤光せきこう
をおびて晴れわたっている。 真之はここをもって、旅順への駆逐隊群を送り出すべき予定地点としていた。 「それではこの辺りで」 と、真之は島村参謀長に言った。島村は東郷に向かい、それではこの辺りで、と同じことを言った。 東郷はうなずいた。 やがて旗艦三笠のマストに、 「予定のごとく進撃せよ。一同の成功を祈る」 との信号旗がひるがえった。 真之はこの襲撃に、連合艦隊が持っている駆逐艦兵力のすべてを投入するつもりで計画し、そしてそれを実施した。旅順口には第一、第二、第三駆逐隊をさしむけ、大連湾には第四、第五駆逐隊をさしむけた
(もっとも大連湾には結果として敵がいなかった) 。 「たしかに成功を期す」 と、襲撃部隊を代表して応答の信号を掲げたのは白雲
(三七二トン) に乗る第一駆逐隊司令の大佐浅井正次郎であった。 全襲撃部隊が、白い軌跡を孤に描いて艦隊主力から離れた。 やがてそれらの駆逐隊が暮れて行く水平線のかなたに消えたとき、連合艦隊は予定の針路を進んだ。どうせあとからこの主力も旅順へ行くのである。それまでは洋上で時間つぶしをしなければならない。 「どうだ、成功するだろうか」 と、島村参謀長が真之に聞いた。 「天のたすけを祈るばかりですな」 と、真之は無愛想に答えた。真之としてはこの駆逐艦群による奇襲でロシアの軍艦を五隻は沈めたい。敵の軍艦を減らしておかねば、来るべき洋上での主力決戦でこちらがひどく不利になる。敵を減らすということに、この奇襲作戦の主題のすべてがあった。 ところが結果は、おもわしくなかった。一隻も沈めることが出来ず、戦艦二隻、巡洋艦一隻に相当な手傷を与えただけに終わったのだが、真之としては、彼が生まれて初めて実施する彼の作戦計画の成功を祈るような気持であった。 作戦家は、実施部隊が出発した後は、やや暇が出来る。真之は、そのあいだに睡眠をとろうとした。軍隊である以上、就寝時間は決まったものなのだが、真之はそんな軍規はとんじゃくせず、 「参謀長、ちょっとごろ寝をしてきます」 と、自室に引っ込み、軍服のままベッドに横たわった。 島村はそれを黙認したが、東郷はこういう真之の振る舞いに対し、いつもにがい顔をした。島村は、 ──
あれは天才ですから。 と、そこまで押しつけがましい言葉を使わなかったが、東郷にも黙認してやってくれることをそれとなく表情で示した。東郷もまた、言葉に出してまでは、むろん叱言こごと
を言ったことはない。 |