二等巡洋艦ワリャーグ
(五六〇〇トン) は四本煙突の快速艦だが、ひきている砲艦コレーツ (一二一三トン)
が足がおそいため、脱出ともなれば軽快さを欠くであろう。 日本の一等巡洋艦浅間 (九七五〇トン) 以下が港外で待ち受けている。艦長は、勇猛できこえた大佐八代
六郎であった。 「敵艦が出て来ました」 と、マストの上から叫んだ信号兵の声とともに全艦戦闘配置についたのだが、そばにいた三等巡洋艦千代田などはイカリを上げるゆとりがなく、くさりを断ち切ってしまったほどに、ロシア艦の出現は不意であった。ときに正午前である。 日本のこの瓜生戦隊は、三千トン程度の旧式の二、三等巡洋艦を主力に編成されているもので、ぼろ軍艦ながらも全艦がよってたかれば、ワリャーグに対抗できる。浅間がこれに加えられたのは無傷でワリャーグを降伏させたかったからである。浅間は、速力をあげた。 ワリャーグとコレーツは港口あたりの八尾はちぴ
島を目指して進んで来た。両艦とも戦闘旗を掲げた。待ち伏せた浅間も、戦闘旗を上げ、さらに接近した。 双方の距離が七キロから六キロになったころ、浅間は八インチ砲を放って試射し、ついで左舷さげん
砲火をひらいた。そのうち後部八インチ砲が、ワリャーグ前艦橋ぜんかんきょう
にあたり、すさまじく爆発した。すでにこの日旅順方面でも水雷戦が行われたが、艦砲に限って言えば日露戦争における日本側の第一発は浅間の八インチ砲であろう。 浅間の射撃能力というのは、日本海軍の中でも最優秀といっていい。つづいて発射した前部八インチ砲弾も、敵のほぼ同じ場所に当った。このためワリャーグは前艦橋がめちゃめちゃになり、さらに煙突付近にも命中、つづいて艦の中央部および後艦橋こうかんきょう
にも数弾が命中し、大火災が起こった。 それでもワリャーグは屈しない。消化のために八尾島のうしろまで後退した。日本側は、そこが港内であるため進めない。十五分ばかりすると、再びワリャーグが姿を現わし、激しく撃ってきた。 小さな千代田は海域を走り回っている。この当時、軍艦の戦時色はネズミ色で、平時は黒であった。瓜生戦隊はみんなネズミ色の塗料で塗られているが、千代田は長く仁川に取り残されていたため黒のままであった。燃料も、全艦隊に戦時用の英国炭が積まれているのに、千代田だけは平時用の日本炭で、この小艦だけがすさまじい黒煙を吐き散らしていた。 ワリャーグが左傾した。コレーツはなお無傷であった。この両艦が生き残りうる道は、もう一度、中立港である仁川港内に引っ込んでしまうことであった。 |