港内深く逃げ込んだワリャーグとコレーツは、各国軍艦の間にもぐりこむようにして、浅間からの急追を避けた。 浅間の方でも、国際問題を起こすことを怖れ、砲撃をやめ、港口に戻った。 ワリャーグの惨状は目も当てられない。艦は大きく左に傾き、大砲はほとんど破壊されてしまっている。普通、降伏以外に考えられないところであったが、艦長ルードネフ大佐は開戦早々にロシア帝国の軍艦が降伏するという不名誉を避けようとした。 彼は兵員の始末を各国軍艦に頼んだ。負傷兵を伊、仏、英の各艦に収容してもらい他の兵員については同盟国のよしみでフランス軍艦パスカルに収容してもらい、上海
まで送ってもらうことにした。戦争が終わるまで上海を出ないという条件ならば、国際法には触れない。 その始末が終わると、ワリャーグはキングストン弁バルブ
(艦底の栓) を開いて自沈し、コーレッツは火薬庫に火を点じ、艦長以下が退去し、爆沈させてしまった。 この海戦は、規模は小さいながら、日本人がヨーロッパ人との間で交わした最初の海戦であり、最初が上手く行っただけに日本側に大きな自信を与えた。 仁川には、日本領事館がある。領事は加藤本四郎という人物であったが、日本は相当の損害を受けるだろうと覚悟し、負傷兵治療のための赤十字病院を長時間内につくったくらいであった。 戦勝後、参謀森山慶三郎少佐が上陸して領事館を訪ねたとき、加藤領事は日本側の損害を聞いた。 「日本側に損害はありませんよ」 と森山が言ったが、加藤は信用せず、森山を自室に呼び、二人きりになって、 「露艦の大損害の様子から見ても、きっと怪我人けがにん
は出たでしょう。ここは他にたれもいませんから、言って下さい」 と、言った。森山は自分の言うことは本当です、ロープ一本切られてはおりません。というと、加藤はきょとんとしていたが、やがて泣き出した。日本人が、白人に勝ったということを信じてよいのかどうか、加藤は外務省役人だけにその意外さと喜びが大きかったに違いない。 「おどろくこはありませんよ。こちらはわざわざ浅間のような大きな艦をもってきたわけで、勝つべくして勝っただけです」 と、森山は言い、真之の物量集中作戦のおかげだと思った。 日本側の勝利は当然であるにしても、それにしてもロシア側の射撃能力があまりにも劣弱であったことに、日本側はおどろいた。ワリャーグは全戦闘を通じて千五百三十発という大量の砲弾を発射したが、一発も日本側に当らなかったのである。ロシア側の死傷者は、二百二十三人であった。日本側は、一人の死傷もない。奇蹟というより、ロシア側の射撃のまずさのためであった。 |