仁川港外に脱出した千代田は、味方の艦影をもとめつつ南下していると、やがて夜が明け、さたに南下するうち、八日八時三十分、水平線上におびただしい煙を見、近づくと瓜生戦隊であった。 艦長村上格一はすぐ汽艇で旗艦浪速へ行き、瓜生司令官に会った。 瓜生がもっと聞きたかったのは、 「まさか、ワリャーグとコレーツは仁川港外へ去っていまいな?」 ということであった。この二艦を旅順へ逃げさせることは敵の旅順艦隊の増強になってしまう。是非撃しまいたいが、しかし仁川港は中立国の港であり、列強の軍艦も多く碇泊し、港内で戦闘を交える事は出来ない。国際問題を引き起こす怖れのある行動については神経質なほどの大本営は、 「仁川港内にあっては、ロシア艦から火ぶたを切るならともかく、こちらからは仕掛けてはならぬ」 と、瓜生に電報を打ってその行動を慎重にするように命じている。 ともかく戦隊は仁川に急行することになった。千代田が先頭になった。 仁川港内の各国軍艦は、昨夜こっそり抜けて行った千代田が、こんどは日本艦隊の先頭を切って戻って来たことに驚いた。 瓜生戦隊は、港内にイカリを下ろしたが、二隻のロシア軍艦もいる。敵味方が入り交じって、いつ港内戦が始まるかも知れず、列国軍艦もこの危険をだまって見過ごすわけにもゆかず、この八日夜九時、英国艦長が高千穂へやって来て、 「この港は中立国の港である以上、外国軍艦に危害を及ぼすような砲撃その他の行動をとってもらっては困る」 というと、艦長毛利
一兵衛は、 「われわれは陸軍部隊を上陸させる命令だけを受けているが、戦争という命令は受けていない」 と、答弁した。 夜がふけ、九日になった。陸軍部隊の揚陸作業は午前四時で終わるという見通しがついたとき、瓜生はみずから英文をもってロシア軍艦ワリャーグの艦長ルードネフ大佐に対して挑戦状を書いた。 その挑戦状というのは、 「貴方もご存じのとおり、すでに日露両国は交戦状態にある。ゆえに、予は貴官に対し、麾下きか
の兵力を率いて九日正午までに仁川港外に退去されんことを要請する。もしこれに応ぜられぬ場合は、港内において貴国の軍艦に対し戦闘行為をとるの余儀なきにいたるであとう」 軍使にこれを持たせて送る一方、各国軍艦に対しても、損害に及ばぬ碇泊場に移動されることを望む、と申し伝えさせた。これが、九日午前七時である。 午前十一時五十五分、ワリャーグとコレーツはイカリをあげ、移動しはじめ、やがて蒸気をいっぱいにあげて全速力をもって港外を目指しはじめた。 日本側はこのことあるを期して、浅間を港外に待ち伏せさせていた。 |