真之と同期で、生涯の友人だった森山慶三郎
(のち海軍中将) は、当時少佐で、第二艦隊瓜生
戦隊 (第四船隊) の参謀をしており、巡洋艦 「浪速なにわ
」 に乗っていた。 彼もまたこの夜、旗艦三笠の長官公室に集まった内の一人で、東郷平八郎から出撃の命令が伝えられた時の模様を次のように語っている。 「私はただうつむいて黙っていた。涙がこぼれて仕方がなかった。満座のひとは一人として顔をあげる者がいない。たれひとり声もあげず、まるで深山のようであった」 森山の述懐では、このとき脳裡を去来したのは、ロシアに負けるかも知れぬということであった。彼は二年前に公用で渡欧し、そのときポーランドを過ぎてその亡国の状を見た。戦勝者のロシア人が、どの町でもその町の主人のような態度でポーランド人を追い使っているのを見たが、その光景が思い出されたならず、日本もあのようになるのではないかと思うと、感情の整理がつかなくなり、涙がとめどもなくなくなった。 「この室内には、私のような女々しい人間だけではなかったでしょうが、しかしこの場の無言の空気から察するに、どの人も似たような感慨でありましたろう。日本の存亡の崖ぶちに立っているという思いでありました」 やがて命令の伝達が終わると、シャンペンが配られ、東郷が杯を上げ、 「一同の勇戦奮闘を望み、前途の成功を期して、杯を上げる」 と言い、干した。一同干しおわると緊張から解放され、 「歓声湧わ
くというような雰囲気に一変しました」 と、森山は言う。艦長たちは長官公室から流れ出たが、参謀には命令を渡すからそれまで待っておれという声が聞こえたから、森山は待とうとした。しかし人に押されるままに通路を歩くと、参謀長室の前にさしかかった。 ドアが、開いている。 広い部屋に電燈が煌々こうこう
とかがやき、部屋の中央に大きなテーブルがあり、そのテーブルには海図が広げられ、二人の人物がしきりに協議している。 参謀長島村速雄大佐と、少佐秋山真之であった。森山は秋山真之というこの同期生を生涯神のように尊敬していたから、この情景をのちのちまで語り、それも、 「二人の稀世きせい
の名将が心血を注いで作戦を練っているという感動的な光景であった」 と言い、さたに二人の動作を説明している。真之は右手にコンパスを持ち、左手に定規を持ち、しきりにそれを動かして海図の上に艦の航路その他をひいている様子であり、テーブルの向こう側には、島村があの長大な体を半身図上にかたむけて真之がひいてゆく航路をみつめていた。 やがて真之は、森山が戸口に立っているのに気づき、森山、と声をかけた。 「貴様のほうの船隊は仁川へ行くことになった。浅間と水雷艇をつけてやる」 と言い、あとは再び海図に目を伏せた。 |