旗艦三笠は、一昨年、英国ヴィッカース造船所で出来上がった新造艦で、速力十八ノット、排水量一五三六二トン、おもな武装は三十サンチ
(十二インチ) 砲四門、十五サンチ砲十四門、八サンチ砲二十問、魚雷発射管四門という、世界で最も大きく、最も強力な戦艦とされていた。 山下源太郎が司令長官公室に入ると、彼の到着がすでに報ぜられていた為、東郷平八郎がその幕僚たちと共に待っていた。幕僚のうち、とびぬけて若いのが、少佐秋山真之であった。 (ああ、秋山がいるな) と、山下は緊張の中ででも思ったが、おかしなものでこの時真之のあごに無精ひげがのびていることだけが目にうつり、 (あれは剃
らせなきゃいかんな) と思いつつ、東郷のそばに進み、二通の緘ざされた封書を差し出した。 副官永田泰次郎少佐が、ハサミを取り出して東郷に渡した。 東郷は一礼し、みずから封を切り、勅語を取り出し、黙読した。 次に開いたのは、海軍大臣山本権兵衛からの命令書である。 「連合艦隊司令長官ならびに第三艦隊司令長官
(片岡七朗) は、東洋にある露国艦隊の全滅を図るべし」 「連合艦隊司令長官はすみやかに発進し、まず黄海方面にある露国艦隊を撃破すべし」 「第三艦隊司令長官は、すみやかに鎮海湾
(朝鮮南端) を占領し、まず朝鮮海峡を警戒すべし」 この封緘命令の日時は、 「明治三十七年二月五日午後七時十五分」 と、書かれている。秋山真之が懐中時計を取り出してのぞくと、ちょうど七時十五分だった。 そのあと、しばらく会議があり、やがて夜がふけた。 午前一時
(六日) 三笠のマストが、ピカリと光った。すぐ、ピカピカと点滅しはじめた。 「各隊指揮官、艦長、旗艦に集まれ」 との発光信号が、碇泊中の全艦隊に発せられたのである。にわかに港内の波がさわがしくなった。各艦から汽艇がおろされ、それらが三笠に集中して来た。 開戦と出撃についての命令伝達の場所は、三笠の長官公室であった。集まって来た各隊指揮官と艦長は、四、五十人である。 東郷が、幕僚を連れて入って来て、テーブルの中央に進み、やがて、 「大命がくだりますた」 と、勅語を伝達し、山本海軍大臣からの命令を伝え、ついで連合艦隊命令第一号をくだした。 「わが連合艦隊は、ただちにこれより黄海に進み、旅順口および仁川じんせん
港にある敵の艦隊を撃滅せんとす」 |