海軍の戦略にふれておかねばならない。 ──
海軍の権兵衛は臆 している。 ということを、若い景気のいい開戦論者たちは二言目には言ったが、山本権兵衛というこの慎重な計算能力と魔神のような創造力と独裁力を持った人物は、開戦ぎりぎりまで慎重であった。 ここ十年、彼の念頭をロシアの艦隊が離れたことがなく、つねにそれを仮想敵として日本海軍をつくりあげてきた。彼はワン・セットの艦隊をそろえたが、その主力艦は英国製の新品ぞろいで、ロシアの主力艦にくらべて性能の点ですぐれていた。山本権兵衛は兵器の性能の信奉者であり、その優劣が戦いの勝敗を決するという点で、どの文明国の海軍指導者より近代主義者であった。 彼は他の多くのこの時代の指導者と同様、国民の精神力の昂揚こうよう
といったようなとりとめもない 発言を、園生涯において一度も公言したことがない。彼に言わせれば、彼が国家から負わされている責任は、国家が仮想敵と戦った場合、負けぬだけの物質的戦力と人的組織をつくっておくことであった。ここ十年、そのことだけに没頭した。 日本軍が、ワン・セットの艦隊しか持たないのに対し、ロシア海軍はツウ・セットの艦隊を持っていた。一つは極東
(旅順・浦塩) にあり、一つは本国 (バルッチク艦隊) にある。この二つが合すれば、日本海軍はとうてい勝ち目はない。 山本権兵衛統裁による日本海軍の戦略は、ロシアの二つの海軍力が合体せぬ間に先ず極東艦隊を沈め、ついで本国艦隊をむかえてこれを沈めるというところにあった。各個撃破である。 ところで、ロシアの極東艦隊と、日本のワン・セットだけの艦隊とは、ほぼ同兵力である。山本権兵衛としては、この艦数、合計トン数の対比を、日本がやや優勢、というところまでもってゆかねばならなかった。海上決戦は、性能と数字の戦いである。敵よりも優勢な数量をもってあたれば戦果が大きいだけでなく、見方の損害も少なくてすむ。 山本権兵衛が、
「第一回戦」 として考えている極東艦隊に対する戦略は、味方の損害を出来るだけ軽微なところでおさえるというところにある、それでなければ第二回戦であるバルチック艦隊との対戦がうまくゆかないであろう。 このため日本海軍は開戦ぎりぎりの時期にさらに二隻の準戦艦を買い取った。 この二隻の軍艦はアルゼンチンがイタリアのゼノアの造船会社に注文してほぼ竣工しゅんこう
しようとしていた新鋭艦で、艦種は巡洋艦であるにせよ、たとえばそのうちの一隻が持つ十インチ砲は二万メートルという世界一の射程をほこるもので、ロシアもこの二隻の軍艦の買い入れをねらっていたが、日本は機敏に手を打って買い入れてしまった。
「日進にっしん 」 と 「春日かすが
」 がそれである。 開戦前、ロシアの警戒網をくぐり抜けてこの両艦が日本に回航された。 要するに、ワン・セットの総力をあげて、やや劣勢のロシア極東艦隊を撃つというのである。 |