極東における軍事と政治の大権を握っているアレクセーエフ極東総督こそロシアのがん
であることは、ウィッテがもっともよく知っている。 彼は皇帝の寵臣ちょうしん
で、極東における重大問題でも皇帝とじかに話し、外務大臣さえその内容を知らないことがしばしばあった。さらにアレクセーエフのもとに過激帝国主義者が集まっており、それらがアレクセーエフをして極東侵略の奔馬ほんば
たらしめていた。 事態はアレクセーエフの思い通りに戦争になってしまったが、その彼が、極東における軍事上の最高権を持ち、クロパトキンの上に立つことになるのである。 「あの男が数十万という
(のちには百万近くまで増大した) 大軍の総指揮を取るなど、信じられない」 ということは、ウィッテがよく言っていたところであったが、ロシア政府部内のどの良識派もそのことに疑問を持っていた。 たとえば、陸軍知識については、そのあたりの新任少尉よりも劣るかも知れないこの人物は、馬にすら乗ることが出来なかった。旅順で閲兵式えっぺいしき
があったとき、当然彼は馬上ゆたかに現れねばならぬところ、徒歩でやって来た。彼は馬に乗る乗らないと言う以前に、馬をひどく恐がっていた。 彼は海軍大将であった。 その海軍知識ですらどうやら曖昧らしい上に、政治家としても凡庸ぼんよう
であった。 ウィッテは、 「ただ狡猾こうかつ
一方で少しも政治家的気魄きはく
と素質を持っていない」 とまで極言している。そういう人物が、ロシアの国運を左右する地位にいるということはいかにも不思議だが、無制限の独裁国家であるロシアでは、皇帝にさえ気に入られれば猿でも大司祭の位置につくことが出来るのである。 ──
着任早々、それを逮捕し、本国に送還せよ。 と、ウィッテはクロパトキンに助言したのである。上官を逮捕するというような大飛躍が、官僚的な妥協的性格を持ったクロパトキンに出来るはずがない。 「また君は冗談を言う」 と、クロパトキンは苦笑した。 「冗談ではない」 ウィッテはかぶりをふり、これをやる以外に戦いに負けぬ方法はないのだ、と言った。 「まあ、そうだが」 クロパトキンは煮えきらぬ顔でうなずき、ウィッテのもとを辞した。 ウィッテの懸念は、やがてほんものになった。 クロパトキンは満州に着くとアレクセーエフとは別の場所に本営を持ち、出来るだけ身を離しておこうとしたが、アレクセーエフの方からクロパトキンの考えを積極的に拘束してきた。アレクセーエフの戦略は積極主義であった。 「日本人は猿である」 と、アレクセーエフは皇帝の口ぐせどおりのことを常に言い、そんなものは一撃しうるのだ、大事をとる必要がどこにあるか、と主張し、このため日露戦争前半のロシア軍の統帥とうすい
は分裂し、乱れた (もっとも、のちアレクセーエフは本国へ召還され、そのあとクロパトキン一人が総指揮権を握ったが)
。 |