将軍クロパトキンが、ロシアでもっとも賢明な政治家と言われていたウィッテの邸
を訪ねた日は、露暦でもすでに二月であるのに酷寒が去らず、窓外に雪が降りつづいている。 ウィッテは、しきりにブランディーをすすめた。クロパトキンは、気持ちよく酔った。 彼にとって快かったのは、彼がウィッテに対して話した戦略戦術が、この賢明な聞き手によって大きな賛同を得たことにもよる。 「私は全面的に君の作戦に賛成である」 と、ウィッテは言った。ウィッテは戦いの素人ながら、戦略戦術に明るかった。もっとも戦略戦術とは元来素人でも理解できるものでなければならないであろう。 クロパトキンがそういう本質的なことを知っている証拠に、彼は去るに当ってウィッテにむかい、 「さらによい工夫が君にあれば、このさい洩も
らしてほしい」 と、聞いたことである。軍人にありがちな独善主義が、クロパトキンにおいては無いかよほど少ないに違いない。 「よく聞いてくれた。一つある」 と、ウィッテは言った。 ウィッテはその秘策を言う前に、君は極東へはどういう人たちを連れて行くのか、と反問した。クロパトキンは、 「幕僚と副官、数人だが」 と言うと、ウィッテはさらに反問してそれらは信頼するに足る人びとか、と言った。 「もちろん」 と、クロパトキンは答えた。 「されば言うが、極東総督のアレクセーエフのことだ。彼は極東における軍事、内政、外政の三権を握っている。君は野戦軍の司令官として行くのだが、アレクセーエフは自分の権能の方が上位であるのをいいことに、かならず君の隷下軍れいかぐん
に対して横から命令を出してくる。ロシア軍はクロパトキンとアレクセーエフの二つの命令の板ばさみになって多いに混乱し、ついには戦いを失敗させるもとになるであろう。 「その恐れはある」 クロパトキンは懸念けねん
していたところなのである。 「アクセーエフは、今奉天ほうてん
にいる。君はむろん彼に着任の挨拶をすべく奉天へ直行するだろう。そこでもし僕が君の立場なら、部下の士官数人をアレキセーエフのもとに派遣し、有無うむ
を言わせず逮捕する。その捕縛したアレクセーエフに厳重な監視をつけ、君が乗ってきた列車に放り込み、そのまま本国へ帰してしまうのだ同時に陛下に電報する。── このように」 ──
陛下がわたしに命ぜられた重大任務を完全に遂行する為に、私は当地に到着してただちに総督を捕縛しました。なぜならばこの処置なくして戦勝は思いもよらないからであります。陛下がもし私の専断を罰せられるならば、私を銃殺する命を下されよ。しからずんば、国家のためにしばらく私を許されんことを請う。 「そう電報をうつ」 と、ウィッテは言った。 |