日本側の戦略が計算しぬかれているところからみれば、ロシア側の戦略はおおよう
で不幸なほどに粗雑であった。 といって、ロシアの対日戦の作戦計画が日本よりも遅く出発したということはない。 まだ日露間が外交交渉中であった去る三十六年十月二十四日、極東における皇帝の代行者アレクセーエフは対日作戦計画を本国に提出し、同月三十一日、皇帝の裁可を得ていたし、さらに翌十一月十八日にはその詳細案が出来、年を越えて一月一日、陸軍大臣クロパトキンのもとでそれが成案になり、それを皇帝は裁可した。 ついでながらこのロシア陸軍の対日作戦案が裁可されたという情報はこの時期、英国外務省がいち早くつかんだ。すぐ日英同盟の義務によって日本政府に伝えた。日本もまた別途にこれをつかんでいたため、この情報は確実性の高いものになり、このことが日本政府をして対露戦に踏み切らせる契機の一つになった。 だから必ずしもロシアは計画を練る時間が少なかったというわけではない。ぬしろ計画以前の、満州における軍事力増強という実質面から言えば、ロシアは常に先取りをしていた。 それにしてもその作戦計画の粗雑さはどうであろう。 ロシアの極東における政略・戦略の策源地は、旅順に新設された極東総督府である。 去年の十月、対日作戦案を立てるについてその陸軍部が、海軍部長に対し、重要な質問を発した。 「われわれ
(陸軍) としては、開戦後一ヶ月を経ても日本陸軍はロシア艦隊にはばなれて営口えいこう
(遼東湾の港) に上陸できないものとみている。そのように考え、そのように安心してよろしいか」 もう一問ある。北朝鮮の防衛である。 「日本陸軍は、朝鮮海岸に上陸して来るであろう。このときロシア艦隊はそれをはばむべく行動し、日本艦隊と何度かの交戦をせざるを得ない。ところでロシア艦隊としては、日本陸軍の朝鮮上陸を、完封出来ぬまでもどの程度それを延ばせることが出来るか」 というものであった。 これに対して海軍部長の回答は明快であった。 「わがロシア艦隊が全滅せざるかぎり、日本陸軍は遼東湾営口および北朝鮮沿岸に上陸することは不可能である。日露両国の艦隊を比較しても、わがロシア艦隊が黄海こうかい
および朝鮮沿岸において撃破されるようなことは信じられない」 要するに極東におけるロシア艦隊は不滅であり、日本陸軍は朝鮮にも満州にも上陸できないか、はなはだしく遅れる、というものであった。 陸軍部はこれによって陸上作戦の計画をたてた。計画の基礎からまちがっていた。 |