米国の好意的な仲介を得るよう、それを工作する為に米国に使いせよ、と言われも、日露の力がかけ離れすぎている、日本がロシアの一撃で負けてしまっては米国の好意的な仲介など技術的ににも成立しえない。金子堅太郎はそう思い、伊藤博文が押し付けてきたこの虫のいい任務を、受けるべきかどうか、返事をしぶらせていた。 伊藤は、金子の胸中を察した。 「君は、この任務の成功、不成功を案ずるあまり、返事をためらっている。そうだろう」 金子は、そのとおりです、と言うと、伊藤は椅子を寄せて来て、 「それならば言うが、こんどの戦いについては金の工面をする大蔵省だけでなく、戦争をする陸軍も海軍も、日本が勝つという確実な見込みをなんらもってはいない」 と、伊藤の本領で、かくしだてのない正直なところをぶちまけた。 「わし自身、この決意に踏み切る前に、陸海軍の当局の者に聞いてみたが、たれひとり確信を持った者がいなかった」 が、かといって事態を捨てておけば、ロシアの侵略は満州。朝鮮どころかついには日本にまで及ぶようになる。 「事ここに至れば、国家の存亡を賭
して戦うほか道はない。もはや成功・不成功を論じているような余裕などはない」 日露協調論を押し進めてきた伊藤がそれを言うのである。 「かく言う伊藤も」 と、伊藤は言った。 「もし、満州の野で日本陸軍が潰滅かいめつ
し、対馬海峡で日本海軍がことごとく沈められ、ロシア軍が海陸からこの国に迫った場合、往年、長州の力士隊を率いて幕府と戦ったことを思い、銃をとり兵卒になって山陰道から九州海岸でロシア軍上陸を防ぎ、砲火の中で死ぬつもりだ」 「金子は驚き、伊藤がそのような決意でいる以上、仕事のぶ・
の悪さなどいっていられないと思い、否応なしに受けたが、しかし米国がはたして日本の都合のいいときに仲介してくれるか、どうにも成否の見通しがもてない。第一、日露戦争というものがどうなるのか、せめて軍事専門家の意見だけでも聞いておこうと思い、陸軍の作戦をすべて取り仕切っている参謀本部次長児玉源太郎のもとを訪ねた。金子は自分の任務内容を打ち明け、 「ついては正直に教えてもらいたい、いったいこの戦争に勝つ見込みがあるのかどうか」 と言うと、児玉はパッと煙草の煙を吹き出して、語り始めた。 「ここ三十日という間、私はこの部屋に泊り込みで、夜は軍服のままで毛布ケット
をかぶって寝るという生活をしているのだが、どう作戦をたてかえたてかえしても、勝負を五分々々にまでもってゆけるかどうかがやっとだ」 しかし五分々々では解決がつくまいが」 と、金子が言うと、児玉はうなずいた。 「そのとおりだ。五分々々では戦争にならん。せめて六部四分までもってきやくてそういう案はないかと思い、ここ二、三日、心労をかさねている」 |