〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/01/28 (水) 

開 戦 へ (八)

ロシアは後世の史家がどう弁解しようと、極東に対し、濃厚すぎるほどの侵略意図を持っていた。
この時期、日本政府が、懇願するような態度で持ちつづけようとしている対露協商に対し、ロシアは最初こそは真面目に対応していたが、たびかさなるにつれ、返答をわざと遅らせはじめた。
その間、すざまじい勢いで極東の軍事力を増大させた。欧露から軍艦をどんどん送りつけてくるだけでなく、駆逐艦のような小さいふね は、その組立材をシベリア鉄道とその延長鉄道をもって旅順まで送りつけ、旅順で組み立てるという放れわざをやった。そのようにして旅順港内に竣工しゅんこう したものだけですでに七隻にのぼっており、このまま交渉がながびけば、その艦数はさらに増えるであろう。
またこの協商中、
「シベリア鉄道の輸送試験をする」
という名目で、彼のいう 「試験期間」 中に輸送された部隊だけで歩兵二個旅団に砲兵二個大隊、騎兵若干にのぼった。さらに旅順と浦塩の要塞工事は夜もサーチライトの明りのもとに行われているというし、また協商中の十月中旬には、野戦病院のセットを満載した十四輛の列車が、本国を出発するということもあった。
「日本に対する返事はできるだけ遅らせたほうがよい」
というのが、ロシア軍部の政府に対する要請であるようだった。
ロシア側は、極東における皇帝の代理者として旅順に共闘総督をおいている。総督はアレクセーエフであった。アレクセーエフはロシアの廷臣のなかでも侵略の急先鋒の一人で、日本の妥協案を皇帝に送る時も、以下のような付帯意見をつけた。
「日本は小国である。兵も少なく、それに財政も貧困である。その小国が、ロシアのような大国に対してつねに虚勢を張っているのは、英米、わけても英の煽動せんどう によるもので、それだけが理由である。しかも当の英国が、万一開戦という場合でも、日本に助勢して立ちあがるというような決心はない。たとえ決心はあっても、極東で大ロシア帝国と戦えるほどの実力はない。こういう英国の事情は日本はよく知っている。だから日本は決して最後の手段 (開戦) に訴えるようなことはしない。であるからロシアはあくまでも強硬な態度をとりつづけるべきである。強硬に出れば、日本は必ずロシアの言うがままになるであろう」
その遅れに遅れていたロシア側の回答が、十二月十一日になってやっと日本の外務省に渡された。それを受取った外相木村寿太郎は、
「史上、これほどの傲慢な回答はあるまい」
とうめいたほどの内容のもので、ロシア側は妥協するどころではなく、彼の最初の回答よりもさらに強硬なものであった。
回答というのはロシア側が占拠している満州についてはもはや触れもしていない。ばかりか日本の利益である朝鮮に対しては半分ロシアによこせといわんばかりの要求事項をくり返し述べてある。
日本は、この交渉に絶望せざるを得なかった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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