後世という、事が冷却してしなった時点でみたなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠
にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。 ついでながら、ヨーロッパにおける諸国間での外交史を見ても、一強国が他の国に対する例として、ここまでむごい嗜虐しぎゃく
的外交というものは例がない。白人同士では通用しない外交政略が、相手の異教の、しかも劣等人種と見られている黄色民族の国ともなると、平気でとられるというところに、日本人の辛さがあるであろう。 少し余談に触れさせてもらいた。 筆者は太平洋戦争の開戦へいたる日本の政治的指導層の愚劣さをいささかでも許す気になれないのだが、それにしても東京裁判においてインド代表の判事パル氏が言ったように、アメリカ人があそこまで日本を締め上げ、窮地に追い込んでしまえば、武器なき小国といえども起ち上がったであろうと言った言葉は、歴史に対する深い叡智と洞察力が込められていると思っている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略はたとえ同じでも、嗜虐的サディスティック
なにおいだけはなかったにちがいない。文明社会に頭をもたげてきた黄色人種たちの小面こづら
憎さというものは、白人国家の側から見なければわからないものであるに違いない。 一九四五年八月六日、広島に原爆が投下された。もし日本と同じ条件の国がヨーロッパにあってとして、その原爆投下がアメリカの戦略にとって必要であったとしてもなお、ヨーロッパの白人国家の都市に落とすことはためらわれたであろう。 国家間における人種問題的課題は、平時ではさほどに露出しない。しかし戦時というぎりぎりの政治心理の場になると、アジアに対してならやってもいいのではないかという、そういう自制力がゆるむということにおいて顔を出している。 一九四五年八月八日、ソ連は日本との不可侵条約をふみにじって満州へ大軍を殺到させた。条約履行という点においてソ連はロシア的体質とでも言いたくなるほどに平然と破る。しかしかといってここまで容赦会釈えしゃく
ない破り方というものは、やはり相手がアジア人の国であるということにおいて倫理的良心をわずかしか感じずにすむというところがあるのではないか。 いずれにせよ、日露戦争開戦前におけるロシアの態度は外交と言うにはあまりにもむごすぎるものであり、これについてはロシアの蔵相ウィッテもその回想録でみとめている。 |