秋山真之が、東郷平八郎という人物と互いに一対一で顔をあわせたのは、このときが初めてである。 「会議室にお通ししておいた」 と、その者が言う。 真之が人事局員千秋恭二郎にともなわれて、その広い会議室に入って行くと、東郷はその中央の辺りにぽつんとすわっていた。うしろに薄いカーテンがかかっていて、背に逆光を受けている。卓上には、茶も出ていない。 「私が、秋山少佐です」 と言うと、東郷はわざわざ立ち上がって、トーゴーデス、と母音を長く発音するなまりで、答えた。思ったよりも小柄な人物で、髪は短く剪
っており、わずかにびんのあたりが白くなっている。そのくせひげ・・
は口もあごも灰色であるために、不思議な感じの貌かお
になっていた。貌といえば目鼻立ちがととのいすぎているほどで、全体に豪傑というにおいがない。真之はこの人物をひと目見て、 (これは徳のある人物だ) と、思った。いざ連合艦隊という大軍が組織される場合、これを統御する人物はよほど徳望のある人物でなければならない。 真之は椅子をもらい、長テーブルをはさんで対座したが、東郷は、 「このたびのこと、あなたの力にまつこと大である」 と言っただけで、黙ってしまった。黙りながら、薩摩人が客に対してみせる特有の表情で真之を見ていた。唇を閉じ、両はしにわずかに微笑を溜た
めている。 この東郷という人物はおそろしく無口な人物であることを、真之は聞いていた。日清戦争のとき、国際法に反した英国汽船を撃沈したことでもわかるように、すぐれた決断力を持っている。平素も戦場にある時も無駄口というものをたたいたことがなく、無口こそ将兵を統率する上での大きな条件であるということからすれば、東郷は将としてきわめてふさわしい。 対面は、それだけで終わった。 あとで人事局の千秋恭二郎が感想を聞くと、真之はしばらく考えてから、 「あれは大将になるために生まれて来たような人だ」 と、言った。 「あの人の下なら、よほどの大きな絵をかけそうだ」 とも言った。 人には持ち前がある、と真之は思っている。彼自身、三軍を統率していっさい不平を言わしめず、おのおのの分ぶん
をつくさしめて死地におもむかしめるような、そのような将才はないと思っている。真之にあるのは、東郷の統率力を使って、思い切った作戦を展開してみるということであった。
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