まったく奇妙な男だった。真之は、海軍当局から内定をもらされた自分の人事を疑い、その実否を確かめよyとした。 むろん、確かめる方法はある。海軍省の他の部局にいる同期生に聞くことであった。さいわい、海軍省軍務局に、山口鋭
という静岡県出身の男がいる。真之はさっそく海軍省へ出かけて行き、山口を別室へ連れ出し、 「こういう話は、ほんとうか」 と、東郷平八郎が常備艦隊司令長官に内定していること、自分がその下で作戦を担当する参謀になること、などを話し、 「これは開戦を意味するものだが、どうだろう」 と言うと、山口はおどろき、 「自分は何も聞いていない」 と、言った。 「そうだろう」 真之は、こわい顔でうなずいた。あれだけロシアに怯えている政府当局が、開戦を決意するなどありえないことである。 「千秋と田中が、このおれに東郷閣下のもとへ挨拶に行けと言ったのだ。あの二人は、血迷ったことをしているのではないか」 と、真之は言った。軍務局にいる山口鋭が知らない以上これは明らかにうそごとである、と思った。 真之は、東郷のもとに行くことを、千秋、田中に約束していながら、すっぽかした。そんな薄みっともないことが出来るか、という肚であった。 ついでながら、海軍省人事局にいる田中保太郎、千秋恭二郎の二人も、真之と同期であった。両人とも石川県人である。 両人は、この朝、東郷平八郎の副官から連絡があって、 ──
昨夜、秋山君が来なかった。 と、言って来た。聞くと、東郷は夜更けまで待っていたという。 「冗談じゃない」 千秋も田中も憤慨し、この善後処置をどうすべきかについて協議した。 そのうち、真之が突如、海軍省にやって来て、人事局の部屋に入って来た。 「君は、いったいどうしたのだ」 と、千秋恭二郎はいきなり怒声をはなち、真之に椅子を与えてすわらせた。真之は椅子を前後反対にし、背のもたれ・・・
の上に両腕を組んで、なにを朝っぱらから怒ることがある、というと、千秋は昨夜東郷邸に行かなかったことを責めた。 真之は、理由を言った。 「わかった、君は軍務局の山口鋭に会ったろう。山口に、開戦情勢がどうこうということを聞いただろう」 「いかにも」 真之がうなずくと、 「いっとくが、今度の人事は、軍務局の連中も知らんのだ。この省内でわれわれ人事局だけが知っている」 「そこへ、東郷中将が。所用で省内にやって来ているということを、他の者が言った。 「ちょうどいい」 と、千秋は先に立ち、真之をうながした。
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