〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/01/24 (土) 

風 雲 (十四)

好古は到着の夜、リネウィッチ将軍が設けてくれた歓迎会宴にのぞみ、大いに談じ、大いに飲んだ。
「快談に時を移せり」
と、その日記に書いたが、彼はいよいよロシア人が好きになった。
「ロシア帝国というのは、外交のひとつにしてもうそは多くて、何をしでかすかえたいの知れぬ国であるが、しかしロシア人はその国家とは全く違った好人物だけである。とくに酒宴でのロシア人の気分のよさは、世界一かも知れない」
と、のちにも言っている。
「ロシア陸軍のご印象はどうです」
と、リネウィッチは、聞いた。好古は、本気でほめた。とくにロシアの騎兵のすばらしさについては、最大級の形容を使った。これも、むろん本気である。
この到着した日、日中は陸軍幼年学校、歩兵第二十四連隊、それに官立女学校などを参観した。みな悪くなかった。正直なところこのような敵と戦って勝つには、日本陸軍の三分の一は死なねばならないと思った。
ロシア側は、好古の視察旅行にひどく寛大であった。翌日は砲兵第二旅団も参観した。さすがに火力重視の国であり、歩兵戦闘に主力を置く日本陸軍は、砲兵だけの旅団というののを持っていないばかりか、その思想もない。むろんそれをつくる経済力もない。
砲兵旅団というのは、歩兵に直接協力する砲兵でなく、軍作戦という広い立場に立って、必要なとき必要な場所に巨大な火力を集中するための戦略砲兵であった。経済戦争がtyねに思考の規準になる日本では、くり返して言うが、戦略砲兵という贅沢なものを常設する考えは、まったくない。
この日、好古は、
「旅順へ行きたい」
と言い出して、ロシア側を驚かせた。冗談ではなかった。旅順といえば大要塞を築城中で、極東におけるロシアの機密地帯のうち、もっとも重要な場所であった。
「旅順におられる貴国の極東総督のアレクセーエフ提督を訪ねて久闊きゅうかつじょ したいのです」
と言った。アレクセーエフは、極東における皇帝代理者である。彼が北京に来たとき、好古は会ったことがある。
「・・・・旅順はどうも」
と、接待委員たちはあまりな申し出に、口をつぐんで返答もしなかった。しかし好古は相変らず強引で、
「ぜひ会いたいんじゃ」
と、日本語で言い、いよいよ相手をうろたえさせた。好古はさらに強引で、宴会の時もリネウィッチと、グラスをあわせつつ、正面からその希望を述べ、ついに承知させてしまった。
彼は結局、満州に入り、南下し、旅順へ行き、エレクセーエフを訪ね、さらに軍事施設を見学した。開戦前に旅順の軍事施設を見た者は、間諜ですら一人もおらず、好古だけであった。
旅順から芝栗チーフ を経て東京に帰ったころは、すでに秋はたけ・・ ようとしている。この旅行期間は三十日に及び、彼の肉眼でとらえた極東ロシアの兵力分布と実情が、参謀本部の対露作戦の重要な資料となった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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