ロシア騎兵の優秀性については、好古は正直なところ、舌を巻いた。さらに他の兵科についてひそかに日本軍と比較しつつ採点したが、みな悪くない。 その手記に、 「この数日間の観察によれば」 と、そのロシアと日本の兵卒についての概評を書いている。 「騎兵、砲兵は、馬の点において、すこしくわが騎兵、砲兵にまさりおるべし。歩兵の兵卒はわg歩兵の兵卒と大差なかるべく」 と、やっと歩兵にいたってまずまず日本兵に対して同点をつけている。 「将校は」 と、書く。 「一般に勇壮、ことに騎兵将校は、決意、敵中に闖入
する気概あり」 どうにもならぬ優秀さである。 こういう敵と日本軍が戦わねばならぬということは、。どいういうことであろうか。 さらに、高級統帥者の能力である。これがもし無能で臆病ならば、いかにその麾下きか
が精兵ぞろいであっても、軍隊の勝利はむずかしい。 好古はこの高級統帥者の人間をも 「見学」 するため、浦塩でもニコリスクでも、出来るだけ司令官級の人物と会った。その総評は、 「高級の団隊長、とくに将官は、精鋭の人を備えたり」 と、書いている。 わるいところは、少しもなかった。ただ、結論として、 「しかれどももしわが軍隊にしてなお大いに奮励するところあらんか、すなわち露兵を凌しの
ぐ、決して難かた からざるを信ず」 とある。がんばれば追い越すことが出来るかもしれないという。いわば自らへのなぐさめのようなことしか書いていない。しかし奮励努力するといっても、結果から見ればこの翌年に日露は開戦しているのである。奮励努力して追い越す希望が持てるような時間は、日本軍になかった。 ついでながら、客観的事実をとらえ、軍隊の物理性のみを論じている。これが、好古だけでなく、明治の日本人の共通性であり、昭和期の日本軍人が、敵国と自国の軍隊の力をはかる上で、秤はかり
にもかけられぬ忠誠心や精神力、最初から日本が絶大であるとして大きな計算要素にしたということと、まるで違っている。 演習は、終わった。 当然、好古はシベリアを離れるべきであったが、このさい、満州もふくめロシアの軍事施設を、騎兵の用語でいう
「威力偵察」 してやろうと思った。 おそらく、ロシア側の接待委員は難色を示すであろう。しかし好古は、かまわず申し出た。 |