〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/01/24 (土) 

風 雲 (十)

翌十三日午後から、見学が始まった。好古は馬を借り、ニコリスクから四キロ離れた演習地の廠舎しょうしゃ に宿営中の部隊へ行き、奇兵隊と歩兵隊の様子を見学した。
この日は、それだけである。感心したのは、兵卒の体格の立派さであり、むろん日本兵と比べものにならない。
それに、兵卒が騎兵も歩兵も一様に長靴をはいていることであった。皮革が他の物価に比して高価すぎる日本にあっては、歩兵では将校だけが長靴をはき、他の兵科では馬を扱う騎兵、砲兵、それに輜重しちょう 兵科だけが長靴である。好古はこころみにロシア兵の長靴を手に取ってみたが、日本のそれよりもはるかに革も上等だし、丈夫で、しかも軍隊が業者から買い入れている値を聞くと、日本円にして三円五十銭ほどだという。日本の官給長靴はどうしても一足十二、三円につく。
演習は、十四日夜から開始された。あくる日の午後に終わり、十六日は観兵式であった。
じつは、演習は予定の十分の一ほどの小規模で終わった。シベリア各地の諸軍団がこのニコリスクの曠野に集まって来て空前の大演習をする予定だったところ、九月上旬、シベリアの各地に大雨が降って道路や鉄道があちこちで使用不能になり、このため予定の軍隊移動が全部だめになり、演習はニコリスク付近に駐屯中の二個旅団の対抗で行われたに過ぎなかった。
「ロシア人は、がっかりしているだろう」
好古は、大庭少佐に言った。世界第一の陸軍の威容を見せて日本人の戦意をくじくという意図は、どうやら無に帰したらしい。
好古にすれば、それでも大いに参考になった。
参考になったどころか、ロシア騎兵の強さは、想像以上のものがあった。
騎兵連隊は六個中隊より成り、騎数は各中隊ごとに大体百二十騎である。
その馬匹なひつ はみな強健で、
「わが騎兵の馬匹に比し、その大いにすぐれたるをみとむ」
と、好古は正直に日記を書いている。
さらにロシア騎兵の贅沢さは、中隊ごとに馬の毛色を変えてあることであった。日本の場合は、それどころではない。
明治二十年にアルゼリ種の馬九十頭と、その翌年に百七十頭入れたものをたね・・ にその後ふやしつづけているが、あまりふえもせず、依然としてロバの従兄程度の日本在来種が中心になっている。第一、馬を繁殖させるための種馬所と種馬牧場すら、やっと明治二十九年に出来上がったという始末で、これによって本格的な馬匹改良に乗り出したのである。その後、七年にしかならない。
ロシアの場合、好古の見たところ、乗り手たちの能力も、各種の運動において、
「賞讃の価値あり、わが騎兵よりまさ る所ありとみとむ」
と、日記に書いてある。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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