風 雲
(九) | 翌朝、浦塩を出発して夕方にはニコリスクに着いた。 この夜の宿舎は、ここでも将校団経営のホテルであった。この夕、ホテルの広間で、ロシア側の歓迎宴会が催されたが、さすがにロシア人は酒が強い。 そのロシア将校の中に、天津
時代の顔見知りがいた。ウォルノフという大佐で、天津のころはロシア租界の民政庁に勤務していたが、いまはここで竜騎兵の連隊長をしている。たがいに旧知であることを確かめ得たとき、思わず抱き合ってしまった。 「ウォルノフはニコリスク第一流の軍人にして、またもっとも騎兵将校たるの資性をそなえたり」 と、好古は手記に書いている。好古の言う騎兵将校たる資性とは、着眼するどく的確で、頭の回転が機敏であり、しかも長躯敵陣に迫る大胆さと、少数兵力をもって大軍のなかに突入する勇気を持った者をいう。 (このウォルノフほどの騎兵適性者が、日本の騎兵将校に何人にいるか) と思うと、多少の心細さがなくもない。 「この男も、騎兵だ」 と、ウォルノフは、さかんに騎兵将校を引っ張って来ては好古に紹介した。 そのたびに好古は、火酒ウオトカ
の杯をあげた。騎兵は歩兵とはちがい、その性格が特異だけに、国境を越えて互いに戦友の思いがするようであり、好古もまたそうだったし、ロシア側の若い騎兵将校たちなどは好古に甘ったれるようになってきた。 とくに、 「閣下は、私の父親そっくりです」 といって、好古のそbzを離れようとしない若い中尉がいて、話を聞くと、ペテルブルグの生まれだという。あとで聞くと、父親は公爵で、海軍中将であるそうだった。 「ところで、お父さんはおいくつかね」 「六十歳です」 「冗談じゃない。わしが似ているとすれば、お父さんが君のお母さんと結婚される前の顔がそうだろう」 と、好古は、大笑いした。 宴が終わって、二階の部屋に入ると、さすがに酔って、長靴ちょうか
をぬぐのも面倒になり、そのままベッドにぶっ倒れ、 「われ、快醉せり」 と、つぶやいた。 まったく、好古の長い酒歴のなかで、これほど気持ちのいい酒宴はなかった。 (なんと、気持のいいやつらだ) と、何度も思った。 ところが、いずれ戦争になって、彼らと戦場で相見あいまみ
えねばならない。彼らもまた好古を見てそう思ったことであろう。 だから戦いは陰惨であるというようには、好古の心は反射しないにちがいない。あの宴会でのロシアの将校もみなそうであったにちがいない。ロシアにもまだ騎士道は残っていたし、好古にも武士道が残っている。日露ともに戦場での勇敢さを美とみる美的信仰を持っていたし、自分が美であるとともに、敵もまた美であってほしいと望む心を、倫理的習慣としてつねに持っている。そういう習慣の、この当時は最後の時代であった。 |
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