風 雲
(八) | ロシアの将官はことごとくといっていいほどに貴族の門閥に属し。当然ながらフランスの宮廷的な典雅さを身につけている。 ところが、この日本の将官ときたら、ハエをにぎりつぶっしたままジョッキを平然と傾けていることに、ミルスキー大尉は、驚いたであろう。 が、粗野かとも思えば、そうでもない。ミルスキーはかつてフランスに留学して砲兵を学んだのだが、好古と語って行くうちに、共通の知人が幾人か出て来た。好古はいちいち温雅な表現で人物評を加えつつ、そのひとたちのことを語った。好古の会話には、フランス的教養人の多いロシア陸軍の将校たちにも珍しいほどの機智が、独特のものやわらかさで包まれているように思われた。ミルスキーは、好古によほど好意を持ったらしく、その哲学的な風貌を、しばしば崩して笑顔をつくった。しかし時には厳粛な顔をして、ご滞在中、小官は閣下の下僕であります、という言葉を、三度もくりかえした。齢は三十前後らしく、性格はきまじめらしい。好古も、これはいい軍人だと思った。 午後も、市中見学である。 ところがミルスキーが見せるのはなんでもない場所ばかりで、訓示施設の前へ来ると素通りしてしまう。 このあたりから、好古の傍若無人
なふるまいが始まった。 「おっ、ここは司令部らしいな」 と、馬車を無理に止めさせ、あいさつをせねばならん、と当惑するミルスキーを尻目にどんどん玄関へ入って行く。軍港司令部も、そのようにして見学してしまい、ついで、要塞司令部の前にも、馬車を止めさせた。 「あいさつじゃ」 と、入って行き、玄関で名刺だけを置き、 「ミルスキーさん、この館の三階へ上がれば要塞も軍港も見渡せるはずだな」 と言いながら、どんどん階段を上がって行くのである。ミルスキーは制止するわけにもゆかず、困った。 この調子で、沿海州軍務知事も訪ね、浦塩艦隊の司令官をも訪ねた。それどころか、港を見渡せる場所に馬車を止めさせ、自分も降り、ミルスキーら接待委員を降ろして、 「あの岬にはどの程度の砲台がある」 とか、 「こちらの対岸の山の砲台の射程はどれほどです」 といったような、およそ一国の軍人が他国の軍人に質問すべからざる質問を発して、いよいよミルスキーらを困らせた。ところが、好古の顔は、いつものつややかな頬に微笑があって、その態度が天衣無縫といったところがあったから、ついつりこまれて、本当のことも二、三しゃべってしまったりした。 ミルスキーらも当然ながら、日本側の大庭少佐さえ、ひやひやしたらしい。
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