〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/01/23 (金) 

風 雲 (四)

明治三十六年の初夏には、秋山好古は、清国から帰って、千葉県習志野ならしの にある騎兵第一旅団長に補されていた。
好古四十五歳である。
少将といえば老人の匂いがするが、好古の体力は青年のころと少しも変わりがなく、酒量も減らず、読書力はむしろふえた。読書の主なものは、フランス語で書かれた軍書のたぐいであり、特に騎兵書と、ロシア関係のものを多く読んだ。
好古が、清国での任務から騎兵本来の現場にもどされたのは、日本陸軍がとりつつある臨戦体制のあらわれの一つだった。
いざ開戦となれば、日本騎兵を率いて世界一のロシア騎兵に当たり得る者は、好古のほかいないというのが、すでに定評であった。
習志野に赴任して何ヶ月か経つと、陸軍省に呼ばれた。
「ロシアから妙な招待状が来ておる」
と、次官から言われた。
招待というのは、ロシアの陸軍省からであった。この九月、シベリアのニコリスクにおいてロシア陸軍の大演習を行うにつき、貴国から参戦武官を差遣さけん されたい、というものであった。
「君に行ってもらいたい。ほかに大庭おおば 二郎歩兵少佐を出す」
この日、四谷信濃町の家に帰ると、弟の真之が来ていた。真之は、この兄を相変らず親代わりとして仕え、海上勤務でない限り月に一度は顔を出すようにしている。
「おい淳、このところいよいよ酒がひどくなったそうじゃないか」
と、好古はこわい顔で言った。好古は陸軍きっての大酒家のくせに、この弟が酒を飲むのを常に喜ばない。
真之はこんな勝手な説教はない、と思い、あに さんの酒こそ大変じゃが、と言うと、好古は、
あし・・ の酒は、めしじゃ」
と、言った。
好古の場合はどうも体質で、酒がなければ栄養失調のおち入ってしまうといった酒だから、戦場で、それも交戦中でも飲み続けていたし、今でも旅団長室の水差しに酒を入れておいて水代わりに飲む。
ところが好古の言う真之の酒は、無理酒だというのである。料亭で飲んで酒量を誇ったり、同僚と会合して大気炎をあげるために飲む。
「このごろは、陸軍の連中と飲んどるそうじゃないか」
と、好古は言った。陸軍の参謀本部の若い参謀たちと真之はしばしば会合を持ち、ロシア情勢を論じ、政府の軟弱をののしり、主戦論的な気炎をあげているということを、好古は耳にしていた。
「酒を飲んで兵を談ずるというのは、古来 の下だと言われたものだ。戦争という国家存亡の危険事を、酒間であげつらうようなことではどうにもならんぞな」
真之は、いやな顔で聞いていた。かえりみると、多少そういうところがあったからである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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