〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/01/21 (水) 

風 雲 (一)

これより少し前、海軍少佐広瀬武夫は、ロシア駐在武官の任務をとかれて、日本に帰って来た。
この時期、秋山真之は、海軍大学校教官をつとめてる。
ある日、真之の教官室に前ぶれもなしに入って来た壮漢がある。広瀬であった。真っ黒な顔に両眼だけが光っており、最初だれだろうと真之は思った。見まちがえたのは、本来色白なはずの広瀬の顔が黒くなっているだけでなく、その挙措きょそ にどこか、日本人離れした匂いをつけてしまっているせいでもあった。
広瀬のロシア駐在は長かった。足かけ六年におよび、その間、大勢のロシアの海軍武官に付き合ったが、広瀬は彼らの間でもっとも人気のある外国武官だった。
海軍士官の間だけでなく、宮廷の婦人たちの間ですら、広瀬は人気があり、そのなかで、当時ペテルブルグの貴族の娘のなかできっての美人といわれたアリアズナ・コヴァレフスカヤという娘に熱烈な求愛を受けたりした。が、独身主義者の広瀬は、ついにそれを受けることなく、帰任命令とともに露都を離れた。それやこれやのペテルブルグでの生活が、広瀬の感じを少し変えていたのかもしれない。
「この顔か」
と、広瀬は真之が与えたイスに腰をおろすと、シベリアの雪焼けさ、と言った。
聞くと、極東のシベリアをソリで横断したという。
もっとも最初は鉄道を利用した。シベリア鉄道の速度や回数など、いざ軍隊輸送に使われた場合の輸送能力を知るためであり、モスクワからイルクーツクまで乗った。
イルクーツクで横断の用意などをするため、一週間滞在した。この滞在中、ホテルから露都ペテルブルグにいるアリアズナ・コヴァレフスカヤ宛ての最後の手紙を書き、
「永遠にいとおしい御身の上に神の恩寵おんちょう のあらんことを」
という言葉で結んだ。
そのあと、スレチェンスクまで鉄道で行き、ここから雪上のソリ旅行を開始した。ソリはスレチェンスクで買い、駅舎から官馬三頭と馬丁を借り、出発した。
一昼夜平均二百キロを走ったというから、ロシア人ですらこの記録を破る者はきわめて稀であった。広瀬は、ブラコヴェシチェンクスを経てハバロフスクに達するまでの間、十昼夜半を走りとおした。ブラコヴェシチェンクス以外では宿には一度も泊らなかった。睡眠はソリの上で居眠りする程度しかとらなかった。それでも、さほど疲れなかった、と海軍省に口頭報告しているから、超人であろう。
「私が見た範囲でのロシア海軍の実態をはなしておく」
と、広瀬は言い、真之に鉛筆と紙を用意するように、と言った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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