子規の死はすぐ秋山家に知らされたが、運くぁるく真之は横須賀に出張中で、これに接しなかった。 横須賀線の中で、隣席にすわった教員風の男が二人、しきりに子規の死のことを語り合っているので驚き、 「失礼ですが、シキとは正岡子規のことですか」 と、問うた。 教員風の人物は、ひどく丁寧な男で、そうです、子規がなくなったのです、私は俳句をやりはじめたばかりですから、と答えた。 「それはいつでしょうか」 「私が俳句をはじめたときですか」 「いいえ、子規の死です」 「それは」 と、男は新聞を見せてくれた。。子規が属していた新聞
「日本」 の九月二十日付の号だった。真之が目を曝
すと、 「正岡子規逝く」 と、大きく組まれて横に黒線がひかれている。八十行ばかりの長い記事で子規の生涯の業績がたたえられていた。 (死んだか) 真之は、この男にはめずらしく茫然としたが、すぐ気づいて新聞をかえした。 葬儀の日どりは、新聞記事には書かれていない。 芝高輪の車町の家に帰ると、母親のお貞が真之の顔を見るなり、それを伝えた。明日二十一日午前九時、根岸の自宅で行われるという。 「そうですか」 真之は怒ったような顔でそういったきり、奥へ入った。 お貞があとを追ってきて、 「升さんとこ、あとどうおしじゃろ」 と、しきい・・・
のちりを拾いながら言った。 こまるだろう、と真之は思った。しかし子規の母方の実家の大原家が、松山士族のなかでもしっかりした家だから、母親と妹の面倒をみるかもしれない。 (あの男のことだから、貯たくわ
えは一銭もあるまい) と、真之は思った。 が、お貞の言ったことはそういう経済的なことではなかったらしい。 正岡家が絶えるということであった。子規はあのように独身だったから子がない。 「淳や、あなたも少しは考えぬと」 と、お貞は言う。 結婚のことである。 「お母さん、葬式の話から急に結婚の話をするのは、穏当おんとう
じゃありませんな」 「穏当ですよ。葬式も結婚も、裏と表のちがいだけで一つもの・・
です」 (なるほど、えらいりくつだ) と思ったが、よく考えてみると、一つ事かも知れない。お貞は、ずっと真之に妻帯をすすめている。要するにお貞はまだ昔の武家の考えがぬけず、家を継がすべき子を作っておくことが先祖への第一の供養だと思い込んでいる。 |