子規が死んだのは、明治三十五年九月十九日の午前一時である。 この前日の十八日は、日中は医者が来りたれが来たりして、人の出入りがあり、病室でずっと眠ったように仰臥
している子規にも人の声が届いたらしく、 「いま、たれが来ておいでるのぞい」 と、妹のお律に聞いたりした。 「キヨシさんです。それに秉さん。それと・・・・・」 と、お律がいちいち名前をあげてゆくと、子規はもう表情のない顔でうなずいたりしていた。 夜になると、みな帰ってしまい、ちょうど当番にあたっていた虚子だけが残った。 子規は、蚊帳かや
の中にいる。眠っているのか、けはい・・・
が静まっている。 夜半、虚子は隣室に蒲団を敷いたが、どうも眠れそうにない。庭へ出てみた。 すでに十二時を過ぎている。 庭の糸瓜へちま
の棚に夜露がおりているらしく、二、三枚の葉が光っていた。光っているのは、十七夜の月が赤々とのぼっているからである。この日、旧暦の十七夜にあたっていた。 虚子は座敷に戻ると、子規の蚊帳のそばに、母親のお八重が小さい影を作ってすわっていた。お八重はこれより前、自分の部屋で二、三時間眠った。虚子と睡眠を交替するために起きてくれたのである。 「キヨシさん、お休みください。また替わっていただかねばなりませんから」 と、言った。 虚子は蚊帳をのぞいた。子規はよく眠っているようであった。 「お律も」 と、お八重は寝かせようとした。 虚子は隣室にひきあげ、横になった。頭の中に冴さ
えざえと占めているのは、さっき見た十七夜の空である。晴れぐあいがおそろしいばかりで、大きな月がひとりうかんでいた。 虚子はわずかに眠ったらしい。 眠ったとも思えぬころ、ひどく狼狽ろうばい
した声で、キヨシさん、キヨシさんと隣室から呼んでいる。お八重の声であった。虚子ははね起きた。 あとで聞いてみると、お律はまだ寝ていなかったらしく、母親と団扇を使いながら話をしていた。途中でふと蚊帳の中が気になり、のぞいてみると、子規はもう呼吸をしていなかった。 「兄さん、兄さん」 と、お律は泣きながら子規を呼び戻そうとしたが、子規は答えない。 「お律、お医者さまを」 と、お八重は、さすがに取り乱さずにきびしく命じ、しかしそのあと虚子を呼んだときは咳き込んでいた。 お律は、はだしのまま隣家へ電話を借りに行くべく走った。 虚子は、表情にとぼしい男である。子規の顔をじっと見つめていたが、やがて立ち上がった。近所にいる碧梧桐や寒川鼠骨そこつ
を呼びに行くためであった。 外に出ると、十七夜の月が、子規の生前も死後もかわりなくかがやいている。 |