好古は、自分の人生は簡単明瞭でありたいと思っている。 「おれの一生の主眼はひとつだ」 と、かねがね言っていたが、ひとつというのは騎兵の育成ということであった。さらにはその育成した騎兵を率いて、将来万一ロシアと戦端が開かれた場合、あの強大なコサック騎兵と戦い、たとえ勝つことがなくとも、負けを最小限に食い止めたいと思っていた。 「負ければ、死ぬ。だから、妻子はいらない」 と、弟の真之にもらしていたが
しかし日清戦争の直前、三十五歳で妻多美を迎えたことはすでに述べた。子供も出来た。彼は人一倍子煩悩
であったが、一面そういう自分をひそかに愧は
じて、 「おれの結婚は早すぎた」 と、ひとに洩らしていた。ロシアとの戦争が始まって終わるまでは独身でいた方がよかったということであった。 ともかくそういう指向の男である。軍でも彼に気持が分かっていたらしく、陸軍大学校出身者としてはめずらしく軍政面や参謀本部畑には一切彼を振り向けず、騎兵関係の学校勤務と部隊勤務のみに彼を用いつづけた。 ところが、彼の生涯の中でこの時期だけは違っている。 清国駐屯軍司令官といえば軍隊指揮者である反面、きわめて政治的な能力を必要とする仕事で、げんにその配下に、秘密情報をさぐる特務機関が付属している。 あるとき、その機関が得た不確認情報で、 「どうも、ロシアと清国との間に秘密条約を結ぶことがすすめられているらしい」 ということを知った。 事は、重大である。 北清事変以来満州に居すわっているロシアが、またまた軍事。経済上の大きな利権を得るべく清国に強制しているらしい。それが成立すれば、当然、日本の安全にとって脅威になる。 事実ならば、日本はあらゆる手を尽くしてそれを阻止しなければならない。 「佐藤大尉」 と、この日、軍司令部付の大尉佐藤安之助を呼び、袁世凱のもとにその実否を問いにやらせた。 じかにこれほどの外交秘密を袁世凱に聞くほどに好古と袁との間には信頼関係が成立していた。 袁は、すべてを佐藤大尉に語った。 好古はすぐ天津領事の伊集院彦吉にそもことを告げた。外務省はすでに攻守同盟を結んでいる英国とともにすかさず露清両国にその密約を流産させた。 もっともロシアはいったんは手を引いたがその後もなおも秘密交渉をすすめて、やがてはその密約成立に成功している。 |