〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/10 (土) 

列 強 (三十一)

伊集院領事が、
「秋山見物」
と称して毎日のように好古に会いに来たように、好古は日本人だけでなく、天津駐在の欧州各国の軍人や、清国の官民にも人気があった。とくに清国人にいわせれば、
── あの将軍 (大佐なのだが) こそ、各国第一の大人たいじん である。
ということであり、好古の、ごく自然な東洋豪傑風の人格に安心したりなついたりしていたのであろう。
たとえば駐留フランス軍司令部の副官のコンダミー大尉などは、好古の熱心なファンであった。
ある日の午後、好古が副官の石浦謙二郎大尉を連れて街を歩いていると、街頭でコンダミー大尉に出会った。同大尉はたまたま好古に報告すべき用事があったので、路上ながらそれを言うと、フランス語の達者な好古は、
「ふむ、ふむ」
と、いちいちうなずき、ときどき笑い、やがて、大声を出して、しかも日本語で、
「あっははは、そりゃよかった。おれもそれで安心した」
と、コンダミー大尉の肩をたたき、そのまま行こうとした。同大尉はむろん日本語がわからず、ぼんやり立っていると、好古の副官の石浦が気の毒に思い、石浦の専攻語であるドイツ語でそれを通訳した。
そういうことが多い。
各国の司令官の親睦会でも、好古は浴びるほど酒を飲み、向こうがフランス語で話しかけてくると、しきりにうなずいて話し相手になってやるが、しかし返事は十度に二、三度は容赦なく日本語でやった。わざとそいしているのではなく、自分はフランス語をしゃべっているつもりであり、ごく自然に日本語が飛び出してしまう。要するに相手に対して隔意がなさすぎるのである。
各国の軍隊が駐留しているために、摩擦も多い。
あるとき、司令部の若い将校が、北京公使館や天津領事館の若い連中と、天津にある日本料亭で懇親会をした。
ところが、こういう料亭にも外国将校が客として入ってくる。その日、ドイツ将校が入って来て、靴のままで縁側を歩いて来る。
「なんだ、あの野郎」
と、北京公使館の門田という書記官が座敷から飛び出して行き、そのドイツ将校を叱責した。
ドイツ将校は、反抗の気構えを示したのでその書記官は相手の胸ぐらをつかみ、外刈そとが りで庭に向かって投げ飛ばしてしまった。書記官は柔道五段だった。
投げ飛ばしただけでなく領事館警察を呼んで引き渡し、あとはみなで飲みつづけた。
翌日、当然ながら好古のもとにこのドイツ将校がやって来て苦情を持ち込んだ。
好古はたまたま庭で他の者とスキヤキを食っているところだったが、この男を呼び入れ、杯と箸をわたし、一緒に飲んで高談し、なんとなくうやむやにしてしまった。
── 秋山大佐は独特の外交の才がある。
と、日本人の間で言われた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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