〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/09 (金) 

列 強 (二十九)

そのころの天津領事は伊集院彦吉という鹿児島県人である。好古が好きで、多い日には朝晩に二度も駐屯軍司令部にやって来る。伊集院はこれを、
「秋山見物」
と、自分で言っていた。
ある日、
「どうも、秋山君、日本租界はきたないですな」
と、窓の外を見ながら言った。
むろん、雑談である。
「欧州各国の租界に比べて、肩身の狭いことです」
と言ったが、きたないと言っても好古に責任のあるわけではない。この時代、軍人はあくまでも一介の武弁ぶべん で、政治の圏外に立つことを美徳としていたし、好古はとくに生涯そであった。彼は政治どころか、陸軍内部の人事軍政にすらきわめて消極的な態度をとりつづけた。
「なるほど」
窓を振り返って、何がおかしいのか、急にはじけるような笑い声をたてた。
「おっしゃるとおり、きたないですなあ」
八月の初めで、陽ざしが烈しい。土がかわき、わずかな風が吹いてもそのあたりが黄色くなるほどほこりが立ち、樹木も少ない。貧弱な日本風家屋や商店、事務所のようなものが建ち並んでいるが、道幅も狭く、全体が猥雑で、欧州人の目から見ればスラムのような風景であろう。
日本租界は、土地が低く、ひと雨降ると水があちこちにたまり、雨季には湿地帯になる。かといって下水道をつくるという智恵も金も日本人にはなかった。
南どなりに、英国租界があり、北東はフランス租界に接しているが、そこでは石造や木造の大廈高楼たいかこうろう がならび、道路はレンガ舗装され、街路樹が風にそよぎ、日本租界に比べると、ひと目で文明の落差が分かる。フランス租界の来た向こうのイタリア租界ですら、日本のそれより美しい。
もともとひとつには、彼らは北清事変以前からここで町づくりをしており、作り上げるだけの資力のある商人がここに居留している。日本租界は新設のうえに、ここへやって来ている連中が着のみ着のままのいわゆる一旗組がほとんどであったことによるであろう。
「貧なるかな、ですな」
窓外の光景を見ながら、これだけ貧乏な国の納税者が、欧米と似たりよったりの軍隊を持っている事に、あらためてあきれるような思いがした。
「日本とは、つらい国ですな」
と、好古は伊集院の方に向き直って言った。つらい、とはどういうことか、好古も説明しない。伊集院もただ さない。
外国に来てみて互いの姿を見れば、なんとなくわかるような感じなのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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