民族には、ごく土俗の感情としてナショナリズムというものがある。 ときによってこの言葉は、国家主義という意味に使われたり、国民主義あるいは民族主義の意味で使われたりするが、要するに民族が持っている決して高級ではないがごく自然な感情
── たとえば自分の村を愛して隣村をののしったり、郷土を愛してその悪口を言われると腹を立てたり、といったふうの土くさい感情 ── のことであろう。 侵略は、それを刺戟する。侵略とは単に他民族の土地に踏み込むという物理的な行為ではなく、その民族のそういう心の中へ土足で踏み込むという、きわめて精神的な衝撃をいう。 結局はナショナリズムを誘発し、このため一民族が他の民族の領域に踏み込んで成功した例は、歴史の長い目で見ればきわめて稀である。結局は、報復される。 ところが十九世紀末のヨーロッパ人は、 「中国人にはナショナリズムはない」 と見た。 そのために軽蔑した。される方にとってはわり
にあわないはなしだが、ナショナリズムのない民族は、いかに文明の能力や経済の能力をもっていても他民族から軽蔑され、あほう・・・
あつかいにされる。十九世紀末、日清戦争の後、ヨーロッパ人や日本人が、中国人をにわかに馬鹿にしはじめたのは、どうやらそういうことであるらしい。 ── この民族には、何をしてもいいのではないか。 と、彼らは思いさだめたとき、争って中国から権利や土地をむしり取った。 が、その見定めは錯覚であった。 なるほど漢民族は、 「清しん
」 という異民族の帝国に対しては、たとえば日清戦争のときのように無自覚な怠業サボタージュ
をして敗れたが、明治三十年以後のロシア、ドイツ、英国などがやった土地の分捕り騒ぎに対しては、こては別であった。農民自身が、外国人の敷く鉄道のために土地を取り上げられ、外国人の商工業進出によって手工業を奪われ、じか・・
に被害を受けた。 キリスト教の大がかりな進出も、彼らの土俗的な信仰感情を刺戟した。 彼らは、ようやくナショナリズムを刺戟された。 「扶清滅洋」 という、当時の漢民族にしてはめずらしく国家的な、つまり清王朝を助けようというスローガンが義和団によって掲げられたのはその事情による。義和団が白蓮教びゃくれんきょう
という土俗の迷信宗教で統一されたのも、また 「洋夷」 の宗教に反撥するそういう事情によるのであろう。 さらには天災が彼らの猖獗しょうけつ
を助けた。 北シナでは連年天災がつづいている、黄河や淮河わいが
がはんらんして田畑を流し、農民は流動した。日照りもつづいた。イナゴの害もあった。農民は土地を離れた。 渦をなして移動し、それが義和団になって外国人の土地、建物、施設を襲った。 |