ロシアがわがものにした遼東半島南端地方は、ふつう、 「関東州」
と呼ばれている。以下、っそう呼ぶ。満州大陸が南に向かって垂れて遼東半島になり、さらにその先端が小指のようにのびた半島で、小指の骨としての脊梁
山脈はきわめて低く、地形は丘が低くうねるように起伏するのみで、高峰はない。三方海に面し、おもな湾としては西に金州湾、東に大連湾があり、先端のせまい湾入部に旅順港がある。 旅順には、 ──
シナ人が作った玩具のような要塞 (ウィッテの表現) がある。先年、これを日本軍が一日で陥落させた。そういう容い
れものが出来た以上、 「ここに大要塞を築き、大海軍を建設せねばならぬ」 ということが、ロシア軍部の緊急でかつ最も重大な課題になった。極東海軍というものである。後にウラジオ艦隊、旅順艦隊ということで、アジアにおける最も大きな海上勢力になったものである。 皇帝は、裁可した。 「しかし、ウィッテどうするか」 と、皇帝は軍部大臣に言った。ウィッテは大蔵大臣であり、ロシアの金庫番である。ウィッテがそれに否ノー
を発すれば問題が面倒になるのである。しかしウィッテは、予算外の非常支出ながら、それを捻出ねんしゅつ
した。総計九千万ルーブルという、気の遠くなるほどの巨額である。 このロシアの関東州租借があった時期から、シナではいわゆる義和団が蜂起し、騒ぎがまたたくまに北シナの天地をおおった。 「拳匪ボクサー
」 ともいう。 この時期、列強はあらそって中国に土地や権利 ── たとえば鉱山の開発権 ── を得、鉄道を敷き、さらには大量の商品を流入させた。このことは中国の古くからの経済社会を大混乱におとし入れた。商品の流れは農民の副業を奪い鉄道や河川の汽船便は船頭や飛脚を失業させ、その他、はかりしれぬ破壊をもたらしたが、それによってあぶれた農民が各地で暴動を起こし、それが次第に義和団に吸収されてゆくにつれて暴動の範囲が広くなった。義和団が攘夷団体であることは、 「扶清ふしん
滅洋」 清を助け洋を滅ぼすというスローガンによっても分かるが、一面では宗教団体でもあり、武器として拳けん
を用い、指揮者以外は刃物を用いず、拳法を修得することによって神霊が体に乗り移り、刀槍から身をまもることが出来るというもので、この集団が、各地で外国人を襲い、外国商社を焼き、鉄道を壊し、電信所をを襲った。ついには流民だけでなく小地主階級までこれに加わり、中央政府や地方政庁までが陰に陽にこれを応援するにいたった。 「この痛烈な排外運動は、ロシアやドイツが先鞭せんべん
をつけた土地掠奪や権益強奪が導火線になったのだ」 と、中国を食肉でなく家畜として飼育しようとするウィッテは、そういう見方をとった。 |