ウィッテは、日露戦争を予想した。 さらにはその敗戦も予想した。とウィッテ自身、その回顧録で語っているが、そこまでは信じることが出来ない過ぎたことを振り返るとき、人間は神になり得る。こなることを私だけは知っていたのだ、と当時の渦中の当事者がいうほど愚劣なことはない。 ウィッテは、閣僚として渦中にいた。 「遼東半島を強奪したことがロシアの呪われた運命の第一歩だった。私のみがそれを知っていた」 と、ウィッテは言いながら、遼東半島をシナから取り上げているということをニコライ二世が決めたあとは、ウィッテは彼自身の反対論を捨て、その半島を取り上げる方向に向かって、その能力を使用した。官僚は、一個の機能である。皇帝の大臣である以上、仕方のないことであったかも知れないが、ウィッテの言う
「没落への第一歩」 に、ウィッテ自身も力を貸したことはまぎれもない。 「卿
よ、卿は反対したが、しかし私はそれを決めた。わが艦隊はすでに陸軍部隊を乗せて遼東半島に向かっている」 ニコライ二世は、食卓の話題のような調子でウィッテにそう告げた。ウィッテは無言で頭を垂れた。皇帝専制の国家である以上、やむを得ない。 皇帝が言ったときはなお航海中だったロシア艦隊は、明治三十年十二月十八日、旅順と大連に入り、上陸し、占領した。中国人は、仰天した。 すぐ年が明けた。その一月一日、ロシアでは陸軍大臣が交代した。その後任には、陸軍内部の秀才として名声の高いクロパトキン将軍が就任した。 「彼は年がまだ若く、理解力に富み、頑固ではない。私が説けばいかに今度の冒険策が将来への禍根になるかを理解してくれるのではないか」 ウィッテはそぷ思った。いったん奪った旅順・大連を放棄するというそれである。 が、実際はクロパトキンも、ウィッテの言う冒険主義者であった。彼が最初の閣議において強硬に主張したことは、前任者以上の内容であった。 「旅順と大連を奪っても、それは港だけのことだ。港を守るために大いなる要塞をつくらねばならないが、それには遼東半島のすべてが必要である。シナに対し、それを要求すべきである」 結局、これが採択された。 清国にあっては、独裁権を持つ西太后せいたいこう
がこの時期、北京郊外の別荘地にいたが、ロシアの要求に対し、かぶりをふりつづけた。すでに英国と日本の外交筋から手が入っており、決してご承諾なさらぬように、万一の場合は英国と日本が清国をまもります、ということを西太后にきかせていた。 このため西太后の態度はきわめて硬かった。 しかし、ウィッテには、手がある。 |