〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/08 (木) 

列 強 (二十)

結局、日本はロシアなど三国にせまられて遼東半島を清国に返した。そのあとロシアがその遼東半島を奪ったことはすでに述べた。
当時のロシア外交の思考法を知るために、ロシアが遼東半島 (旅順・大連) を横取りするにいたるいきさつを見ると、この閣議では当然ながらウィッテは反対している。
「シナへの背信ではないか。露清条約はどうなるのだ」
露清条約というのは、日清戦争の後で結ばれた。シナを日本の侵略からまもってやる、という条約である。いわばシナをロシアの家畜にする条約であった。その条約締結早々それを破るばかりか、保護者みずからが強盗の真似をするのはもってのほかである、とウィッテは言う。
「むろん、これは道義問題ではない」
ウィッテが言うまでもなく、帝国主義外交に道義などはない。必要のために道義めかしくするのが、外交の技術である。どうせ、侵略の野心はある。それを道義で艤装することこそ大切であり、いま遼東を奪うことはロシアの本心をロシアみずからが暴露することである。
「シナはロシアを疑惑する。それによってわが国の極東発展に大いなる傷害を招くであろう。眼前の一片の土地ほしさに百年の国益を失ってはならぬ」
と、反対した。
が、外相、陸相、海将は旅順・大連を取ることがいかに大事かを主張してやまない。
もっとも海相は、
「私は海軍根拠地が旅順・大連でなければならぬということは申しません。むしろ朝鮮のどこかの方がほしいのです。なぜならば朝鮮のほうが大洋に近いですから」
と、言ったりした。海軍大臣というのはどの国でも、海軍だけの技術的なことしか発言しない。それに対し多くの国の陸軍大臣が対外強硬論者でありがちなように、この当時のロシア陸相ワンノフスキーもそうであった。あくまでも旅順・大連を取ることを主張し、外務大臣を応援した。外相ムラヴィヨフはウィッテに言わせれば 「平凡な人物であったが、非常に功名心がつよ」 く、自分の奪取案を主張した。
あとは、皇帝が裁断する。
ニコライ二世は、ウィッテの意見をしりぞけ、外相案を採用した。
ウィッテはこれを憤慨し、回顧録に、
「われわれがもし露清条約を忠実に守っていたら、あの恥多き日露戦を引き起こすこともなく、ロシアは極東においてゆるぎない立場を保持しつづけていたであろう」
と、言う。さらにこの奪取案を皇帝が採用した日、ウィッテはある皇族に会い、腹立ちまぎれに、
「殿下よ、今日の日を御記憶くださいますように。この日の第一歩が、ロシアの為にどのように恐ろしい運命をもたらすかをとっくり見てくださらねばなりませぬ」
と、ささやいた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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