英国が帝国主義の老熟期にあったとすればロシアやドイツは、その青年期に当る。 それだけにこの遼東還付のばあい、やり方がいかにもなまなましく、欲望と行動とが直結し、そのあくの強さは、十九世紀末の外交史上、類がない。 「シナに遼東を返せ」 と、駐日公使ヒトロヴォーをして日本政府に談じ込ませたとき、公使の背後には極東水域におけるロシア艦隊があり、それらは塗装をことごとく戦闘色に変え各艦とも弾庫に砲弾を満載し、いつでも命令一下東京湾に侵入して砲弾の雨を東京市に降らせるだけの態勢をとっていた。日本は屈する以外になかった。時の外相陸奥宗光は、 「たれがこの政局にあたっても、屈する以外の策がなかったであろう」 と、みずからなぐさめた。 干渉側の露、独、仏は、
「日本の遼東放棄は東洋の平和のためである」 ということを名目としたが、ところが帝国主義外交にとって外交上の言語はつねに魔法のようなものであり、真実は武力でしかない。ドイツはこのあと、いきなり膠州湾
(青島チンタオ
) を奪ってしまったのである。うむ・・
を言わせず兵を上陸させて清国から奪った。 清国には、事前に了解などは得ない。ドイツ皇帝はロシア皇帝にだけ了解を得た。この両皇帝は明治三十年八月、ロシアのペテルホフの避暑地で会合し、離宮の一室に閉じこもって密談をとげた。まず口火を切ったのは、ドイツの皇帝カイゼル
である。 「ドイツは、アジア艦隊の根拠地として膠州湾をほしいと思っているが、貴国にご異存があるだろうか」 皇帝ツアリー
ニコライ二世はかぶりをふり、 「ロシアは、天津以南の地には今もところ欲望を感じていない。ここではっきり申上げておくがロシアにとって重大な関心は、旅順から鴨緑江おうりょっこう
にいたる地域に集中している」 カイゼルは安堵して、かさねて念を押し、 「もしも、である。ドイツが膠州湾を占領するようなことがあれば、貴国は如何いかん
」 「依存はない。むしろ歓迎する。今ロシアの対アジア政策をいたるところで妨害しているのは英国である。これに迷惑している。ドイツが来てくれればむしろ、ロシアのとって有利かもしれない」 このあと、まるで白昼の押し込み強盗のようなドイツの膠州湾事件が起こった。占領は、ロシア側を刺戟した。 その電報が首都ペテルブルグ
(レニーグランド) の外務省に入ったとき、すぐさま御前会議が開かれた。メンバーは例の大蔵大臣ウィッテ、陸軍大臣ワンノフスキー、海軍大臣トゥイルトフ、それに外務大臣ムラヴィヨフである。 「ロシアとしてはこのドイツの強奪事件を利用し、このさい遼東半島の旅順、大連を占領すべきである」 と主張し、ウィッテをのぞく他の大臣がことごとく賛成し、皇帝も賛成した。 |