〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/06 (火) 

列 強 (十五)

制覇極東王とも諡すべきアレクサンドル三世が死んだのは、日本が日清戦争を始めた年であったことは、象徴的である。
このころ、
「ロシアにとって残っているのは、満州と朝鮮だけである」
と揚言したロシアの宮廷人がいたというが、ありうべきことであろう。帝の在世中、中国本土をのぞくほか、そのまわりの広大な部分がロシア領もしくはその勢力下の領域に組み入れられた。シベリア鉄道の工事が進むにつれ、早晩、満州と朝鮮がその勢力下に引き入れられるであろうことは、もはや時間の問題に過ぎない。
いわば、勢いである。ロシアの侵略主義者にとっては、満州と朝鮮は奪らねばならない。
なぜならば、ロシアの極東進出の大いなる眼目の一つは、南下してついに海洋を見ることである。不凍港を得たかった。
それには、満州を得なけれなならない。とくに南満州の遼東半島が貴重であった。そこには旅順、大連といった天然の良港がある。さらにはその東の朝鮮半島。これを得てはじめてロシアの南下政策は完結するであろう。ところが、日本が勃興した。
日本は歴史的にロシアの南下策をおそれることおびただしい。さらに日本防衛の生命線として朝鮮半島を重視した。この朝鮮半島を、露清両勢力から独立した地帯にすることを国防の主眼に置き、そういう朝鮮問題が争点となって日清戦争を起こした。
「日本はシナに負けるだろう」
と、ロシアは見た。見るだけでなく、清国を応援した。
ところが、日本が勝った。勝って、その宿願どおり朝鮮から清国勢力を追い払った。
そういう時期、
「満州と朝鮮」
というこの二つの課題を残してアレクサンドル三世が死んだ。自然の勢いとしてそれは後継者に継がれなければならない。ニコライ二世が二十七歳で即位した。彼は即位した月に日本海軍は大連湾に進入し、陸軍はその諸砲台を占領し、さらに旅順要塞を陥落させた。
「猿は」
と、日本人を公文書でもそのように書くニコライ二世は、滋賀県大津で兇漢に殺されかけたことを生涯忘れなかっただけに、日本の動静について、多少軽侮と多少の憎悪をこめずには考えられない。
「猿は、満州をむしり取ろうとしている」
戦後、日本は清国との講和条約によって遼東半島を得たことはすでに述べた。それに対し、ロシアが独、仏を誘ってすかさずいわゆる三国干渉をし、
「遼東半島を清国に返せ。しからずんばロシアは独自の自由行動 (軍事力行使) によって任意の処置をとるであろう」
と、日本をおどし、結局は屈せしめたこともすでに触れた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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