〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/05 (月) 

列 強 (十二)

スラヴ人という民族は、本来、侵略的でないということを先に述べた。
このことには、今少し註釈が要る。侵略的でないというのは、たとえばノルマン人のようではない、という程度の、たまり比較から来た印象である。
ついでながらノルマン人というのは、
「北方の人」
という意味である。五千平方キロという大氷河のあるスカンディナヴィア半島やデンマークにいた民族で、古くから航海に長じ、冒険性に富み、性格は剽悍ひょうかん で、民族のひとぐるみが海賊という仕事に最も適していた。ヴァイキングと呼ばれる連中がそれである。
このいわば野蛮 (当時の規準でいえば非キリスト教的) な民族は、八世紀から十二世紀という長期間にわたってヨーロッパの他の農耕・牧畜地帯を荒らしまわった。東西フランクもさんざんな目にあい、アングロ・サクソンのイングランドもこの民族のために征服された。南イタリアもシシリー島も同様であり、ノルマン人はヨーロッパのほうぼうでノルマン王朝を開き、彼ら自身も被征服民族と混血し、同化し、キリスト教化し、この 「かきまわし作業」 によってヨーロッパというものが、人文的に渾然こんぜん たる一ツ圏になる結果をつくった。
スラヴ人も、九世紀にノルマン人に征服された伝説を持つということは先に述べた。
「原初年代記」 が伝えるロシア建国の神話は、当時スラヴ人の数多くのグループが互いに相克そうこう しあってまとまりがつかなかったため、自分たちの統治者を輸入するため、本来最も恐ろしい戦闘民族であるノルマンに使いを送り、
「われわれは豊な地域に住んでいるが、しかし秩序を持っておらぬ。汝らヴァリャギ (ノルマン) よ、われわれのためにそきた たって君臨せよ、支配し、秩序をつくってもらいたい」
と、申し入れた。これによってノルマンの一民族が北方から南下し、ロシア地帯を支配し、最初の王であるリューリックがスラヴ人を治めた。これがキエフ国家のはじめとされている。もっとも現在のソ連ではこの伝説を認めたがらない。
要するにスラヴ人は、歴史の長い期間にわたってノルマン人のように冒険心と運動性に富んだ侵略はやっていない、というのが、前述の、 「スラヴ人は本来侵略的でない」 という言葉の背景にある。
が、ピョートル大帝のロシア近代化によってこの民族も、他のヨーロッパ諸民族から見れば遅い目覚めであったとはいえ、国家的膨張をしようとする動きが目立ってきた。
アジアに対する関心は、シベリアの毛皮への魅力が中心になっていたということは先の述べたが、ピョートル大帝以後、それに加えて不凍港ふとうこう を得たいという関心が次第にふくれはじめた。
その後、ヨーロッパでの他の国との紛争があればその期間だけ東への伸張活動は弱るか、休止するが、西の問題が片付くと再び東へ活動するという、そういう活動の仕方が、この大帝国の生理的習慣のようになった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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