〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/05 (月) 

列 強 (九)

開明家といっていいウィッテですら、ロシア的性格には独裁政治が必要なのだという。
「ピョートル一世にせよアレクサンドル一世にせよ、憲法があったのでは、ロシア帝国の建設は出来なかったはずである」
と、ウィッテは言う。
「私は内心ではまるで魔女にでも魅せられてように無制限な独裁政治の心酔者である」
ウィッテ伯爵がこの回想記を書いたときには、すでにロシアの絶対君主制が倒れたあとであったから、彼は君主制にこび・・ を売るつもりで書いているのではない。
ただし、彼が心酔する無制限な独裁国家に愚かな君主が現れた場合はどうであろう。
「その国はもっとも恐るべき試練を受けねばならない」
とし、その 「おろかな君主」 として、ウィッテは、彼の反対を退けて日露戦争をやってしまったニコライ二世を見本においている。
「破壊ほど容易な仕事はない。三歳の幼児でも大人が十年も百年も考えてつくったものをまたたく間にこわすことが出来るように、おろかな君主は、彼の先行者がつくったよきものをたちまちに壊してしまう」
── よき独裁主君とはどういうものか。
「強い意志と性格が必要である。次に高潔な感情と思想、それから智恵と教養と訓練が必要である。ただし、智恵と教養うんぬんの条件はとりたてていうほどではない。十九世紀から二十世紀にかけてのヨーロッパ各国の貴族や富豪においては普通の属性であるからだ。要するに普通の頭脳でも独裁政治は立派にやってゆけるのである。プロシアの大帝ウィルヘルム一世がなによりの証拠である」
ウィッテは、独裁君主においてはなによりも、強い意志と高潔な思想、感情を第一条件とする。
「これなしで、自分の国や、自分自身に幸福をもたらすことは出来ない」
その逆がニコライ二世である、と言いたいような語気である。
ウィッテは、ニコライ二世の父アレクサンドル三世に仕え、大臣になり、この先帝において理想に近い独裁君主を見た。
「私は個人的感情で言うのではない。アレクサンドル三世は普通の頭脳と教養を持っているに過ぎなかったが、彼は鋼鉄のような意思と性格を持っていた。彼は言行一致の人であった。皇帝らしい品格と皇帝らしい高遠な思想を持っていた。彼には利己心も自負心もなかった。彼の我は、ロシアの幸福にぴったりと結びつけられていた。彼は天性の独裁者で、歴史的に混乱しきっていたロシアの絶対的独裁を支持し保存することが出来た」
その逆がニコライ二世である。
ニコライ二世は、阿呆ではない。教養についてはその父帝をしのいでいる。父帝よりすぐれているのは、その点だけであった。その他のことは、右に掲げた父帝の美質のすべて逆である、と、ウィッテは言う。
漢語で言えば、暗愚ではないにしても庸劣ようれつ の君主といえるであろう。その独裁者が、極東の島国の相手であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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