〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2015/01/04 (日) 

列 強 (五)

このあたりで、ピョートル大帝と呼ばれている巨人について語らねばならない。Peterをペートルと読んだり、ピーターと英語読みしたりするが、ここではピョートルと呼ぶ。
「王としての革命家」
と呼ばれたほどにロシアを一新した人物で、ロシアをピョートル以前とピョートル以後に大別することも出来る。近代ロシアは、この人物から始まっている。彼はロシア的なものを 「遅れたもの」 として嫌い、西欧の文物を洪水のようにしてロシアにそそぎ入れた。
ピョートル大帝の活動した時代は、日本でいえば元禄の泰平期から八大将軍吉宗の中興時代に当る。
むろん当時の日本は鎖国のなかにある。ロシアもまた、ピョートルが出るまでは文化的には鎖国にひとしかった。さらにはその文明の遅れ方は、当時のヨーロッパ人から見れば半開国に等しかったであろう。
若い頃のピョートルの肖像は、おとぎ話の王子のように可愛い顔をしている。学習が嫌いで、宮廷の教師から逃げまわっていたが、機械いじりが病的に好きだった。西ヨーロッパから輸入した機械類や鉄砲を分解しては構造を調べたり、その原理を知ろうとした。
ほどなく船に興味を持ち、十六歳のとき造船所へ出かけて行って船大工として働いた。
十一歳で即位しているから、帝王の身分である。側近が止めても、きかなかった。生まれつきの職工というべく、ほどなく一流の船大工になった。
このような、技術への憧れから、数学を学ぶことに熱中した。彼がもし民間に生まれていれば、ロシア第一の技師になっていたであろう。
彼は、航海にも憧れた。このため航海術を学び、げんに航海練習もした。となると、民間に生まれていれば船長だったかもしれない。
鉄砲も、彼の好きな機械の一つである。職工としてその製造法を学び、さらには老練な下士官のようにうまい射撃法をも身につけた。トルコとの戦いで、二十三歳のこの帝王は、二メートルの長身を軽々と動かしつつみずから砲側に立ち、砲手として戦った。こうなると、彼が別な生まれであったら、もとも実力のある砲兵仕官であったかもしれない。
いずれにしてもこれらの機械好きが、彼の西欧への憧れをあおりつづけた。同時にこの、機械好きが、彼を観念論者たらしめなかった。ついで、およそ 「ロシア的」 といわれる旧習尊重主義、迷信、その他のあらゆる不合理なものをぶち破る改革主義者たらしめた。ピョートルは単なる新しがり屋でなく、国家や諸現実を、力学の場で見ようとしている。彼はロシア史上最強といわれる陸j海軍を、手づくりで作ったが、そういう彼にとって必要なのはロシアの神話や習慣でなく、つねにリクツに った現実であった。現実分析力や直視精神は、彼の機会好きのなかから生まれたといっていい。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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