古い時代、ロシア国家というのは、一個の巨大な毛皮商人であった。とくに十七世紀以後、毛皮輸出が国家の重要財源になり、専売制がとられたこともある。 シベリアは、その宝庫である。この全面積一二三〇万平方キロという広大な地域には広大な森林があり、その果実で生活する毛皮獣がおびただしく棲息している。熊、狐、いたち、うさぎ、りす、それに毛皮としてもっとも珍重される黒い貂
や黄色い貂が棲む。 人類も、まばらながら住んでいる。すべてアジア人と総称される諸人種で、最初のシベリアの住民は、古アジア諸民族に属する狩猟民族であった。ついで、黒竜江の方にいたツングース人や、ヤクート人といった遊牧民族が侵入し、長い歳月の間に土着した。 彼らが、毛皮獣をとる。ロシア人がそれを買いに来る。ロシア人は、この西欧の貴族社会が喜ぶ毛皮を先住民から買いたたき、買い集めることで、商業というものがいかにおもしろいものであるかを知った。彼らはシベリアを東へ東へと進み、ついに沿海州えんかいしゅう
に達し、さらにカムチャッカ半島にまで達した。達することによって、 ── ここは、ロシアの領土だ。 ということになった。先住民族どもは狩猟か漁撈ぎょろう
をしており、領土意識というものはきわめて少なく、それに、侵入民族と戦うだけの国家を形成していない。さらには、ロシア人は西ヨーロッパとの接触によってつねに新しい武器を持っており、その武器によって先住民を征服した。ロシア国家そのものがシベリアを領有しようとした政治意図は初めはなかったが、毛皮商人とコサックどもが私掠しりゃく
し、その私掠した領域が結局はロシア国家のものになった。いわば、毛皮への魅力が、ロシアをして史上空前の大領域を持たせることになった。 いまひとつ、シベリア領有には、ロシア人の心理的事情がある。彼らロシア人を長い間領有していたのは、そのシベリアの南方に広がる中央アジアの大地帯を根拠地にしていたアジア系の遊牧民族であったことはすでに述べた。この中央アジアとシベリアを含めて、ロシア人は、 ──
自分たちの征服者の土地だ。 ということで、その征服者が、内紛などによって雪が融けるようにその支配機構を消滅させてしまうと、ロシア人はその地域に進んでその地域を自分の物にした。ごく心理的に言えば、ロシア人はそれらの地帯を、他人の地帯とは思わず、ただ出かけて行って何の疑いもなくそれを自分の土地にしてしまったにすぎない。侵略戦の血なまぐささがあまり
(程度の問題だが) 伴わなかったのが、このロシアの北アジア領有事業であった。 彼らは長い歳月の間、なしくずしの
「侵略」 を重ねつつカムチャッカ半島に達し、さらに千島列島に南下し、占守しゅむす
、幌莚ばらむしろ の両島を占領し、いよいよ進んで得撫うるつぶ
島以北の諸島を侵したとき、初めて日本と接触した。十八世紀半ばすぎ、日露戦争からほぼ百五十年前のころである。 日本人が、当時でいう赤蝦夷あかえぞ
── ロシアの危機を感じた最初であった。 |