この十九世紀末というのは、地球は列強の陰謀と戦争の舞台でしかない。謀略だけが他国に対する意志であり、侵略だけが国家の欲望であった。 帝国主義の時代である。そういう意味では、この時代ほど華やかであった時代はなかったかも知れない。列強は、つねにきば
から血をしたたらせている食肉獣であった。 その列強どもは、ここ数十年、シナというこの死亡寸前の巨獣に対してすさまじい食欲を持ち続けて来た。 が、なおもシナの実力を過大に評価した。 「シナはねむれる獅子である」 と、列強は思い、もしその獅子を過度に刺戟することによって、ついに奮い立たせてしまいでもしたが、大怪我をするのは列強の方である。そいう怖れが、彼らの侵略行動をつねに制御した。 ところが、日清戦争での敗北は、シナの実体を世界にさらけ出した。その戦いぶりのだらしなさ、その政府大官の亡国的な怠慢さ、無気力さ、さらには兵士たちの清帝国に対する忠誠心の欠如ということは、平和時においてすでにそれを感知していた列強の外交専門家の目にも、意外なほどであった。 ──
シナは、すでに死んだ肉で、死肉である以上、食用にさるべきであり、それについての後先あとさき
などはない。先にナイフを突き立てた国の勝ちである。 という気分が、どの国の政府にとっても新しい通念になった。 日本は、日清戦争の結果、二億両の賠償金と、領土を得た。領土は、台湾及び澎湖島ほうことう
、および遼東半島である。 講和条約の調印は、明治二十八年四月十七日行われたが、その後一週間も経たぬ間に、ロシアが、 「遼東半島をシナに返してやれ」 という横やりを日本に入れて来た。むろんロシア自身が考えて発案したものだが、ロシアはこの要求を世界の高論というかたちにして正当の擬態をとるため、フランスとドイツを語らって要求して来た。表むきの理由は、 「遼東半島を奪うことは東洋の平和に障害がある」 というもので、むろん口実に過ぎない。なぜならば、その後わずか二年にうちにロシアはみずから遼東半島に軍隊を入れて奪ってしまったのみならず、満州まで占領してしまったのである。 日本は、戦慄した。 ──
この要求を入れなければ一戦あるのみ。 という態度がロシア側にあることが、駐露公使西徳二郎のさぐりによって分かったのである。日本は、とうていロシアと戦えるような国ではない。ましてドイツ、フランスをも敵にまわすような実力はなく、実両がなければその言いなりになるしかなかった。 日本は遼東半島を還付した。
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