〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/29 (月) 

米 西 戦 争 (二十二)

ロシアがアメリカの造船所の注文した巡洋艦ワリーヤグと戦艦レトヴィンザーについては、小村寿太郎の書生桝本卯平が、建造の進み具合をその目で見た。
桝本卯平は、小村と同郷人で、小村を頼って東京に出、その書生になって第一高等中学校へ通った。大学は造船科であった。
在学中、実習生として長崎の三菱造船で働き、国産の 「常陸丸ひたちまる 」 を造る仕事に参加した。常陸丸は日露戦争における悲劇の船としてその船名を世間に印象づけた。
ちょうど小村がアメリカへ赴任する直前に卒業した。三菱へ入ろうと思ったが、小村が、
「それより一緒にアメリカへ行かないか」
とすすめ、結局同行することにした。小村にすれば自分の手もとで成人したこの青年に、海外の造船技術を身につけてやりたかったらしい。旅費は三菱が出してくれた。
小村は、桝本を公使館でしばらく遊ばせていたが、ほどなく小村は合衆国独立記念祭に招かれ、フィラデルフィア市に行った。この宴席で、同市のくらんぷ造船所の社長チャールス・クランプに会い、
── どうです、日本の青年を職工として入社させてくれませんか。日本では造船学を学んだ男です。
と頼むと、簡単に引き受けてくれた。
桝本は、久村の紹介状をもってフィラデルフィアへ行き、造船所の事務所でクランプ社長に会った。
「君は自分の工場に何を学ぶために入る」
と、その小柄な老人がいきなり聞いた。いかにも徒手空拳としゅくうけん からたたき上げてこの大工場主になったというそういう経歴の持ち主らしく、目のするどい、自負心に満ちた顔をした老人だった。
桝本はこういう、いわば哲学的な (と桝本は思った) 質問に出あうとは思わなかったため、ちょっととまどったが、とっさに、
「私は船を造る練習に来たのではなく、船をつくられるあなたを学ぶために来たのです」
という返答をした。この返答に、老人はひどく気に入ったらしい。桝本をわざわざ私室にしょう じ入れ、一時間ほど語り合った。老人はいよいよ桝本が気に入り、
「工場の各部に半年ぐらいずつをかけておまわりなさい」
と言ってくれた。
そのころ、真之がこのフィラデルフィアぬやって来て、桝本のために下宿の世話をしてやった。ヘーグというドイツ系のアメリカ人で、造船技師であった。あなたの勉強にとって大いに役立つでしょう、と真之が言った。
ついでながら、真之は、公表されてはいないにせよ、海軍軍令部課諜報の所属である。しかし、桝本に対してその種のことはいっさい頼んでいない。
桝本は、職工になった。最初に配属されたのは、製図場の軍艦部であった。ちょうどロシアが注文した巡洋艦ワリヤーグの仕事が始まっていた。桝本はその仕事を受け持たされた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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