製図場軍艦部には、五十人ばかりの人間が働いていた。 純粋の米国生まれというのは極めて少なく、ノルウエー、ドイツ、イギリス、フランスからの移住者が主であった。 「社長はユダヤ人だ」 ということを、初めて聞いた。 数ヶ月のち、桝本卯平は現場へまわされた。純然たる職工であり、日給も一ドル四十セントで、一週間休まずに通えば七ドル七十セントになる。ところが下宿料が週に五ドルであった。それでも同僚の職工たちは、 「アメリカの労働者ほど世界で幸福な労働者はない。取れる金が多いし、食物がべらぼうに安い」 と言っていた。事実、五セントもって酒屋に行けば、職工たちは飲みきれぬほどのビールが飲める。 ビールだけでなく、日本の居酒屋で出るような無料のツキダシも出る。その無料のツキダシがビーフ、ハム、サンドウィッチ、ビスケット、チーズなどといったふうの大仕掛けなものなので、これで昼めしや晩めしの代用になる。ヨーロッパからこの国へ移民がとめどもなくやって来るはずであった。 桝本卯平の新しい部署は、戦艦レトヴィンザンの現場であった。 工場は、まるで戦場のようであった。 真っ赤に焼けた腕ほどの長さの鋲
が、鉄砲玉のように頭上を飛んで行くことはしょっちゅうであり、あるときは吊るされた鉄板がまっすぐに落ちて行って下にいた職工の顔を目も鼻もなく削いでしまったことがあり、桝本が高い鉄架の上で働いていると、目の前を人間がまっ逆さまに落ちてゆくのも見た。 「十人がひとかたまりになって高い所から落ちて行ったりしたこともある、腕を折ったり、手を切り落としたりするくらいのことは毎日何度あるか知れない」 と、桝本卯平はその回顧録に書いている。 それでも、アメリカの労働者は陽気で、仕事のあいまに桝本をからかい、 「おまえほどばかなやつもないよ。おまえははるばる日本からやって来て敵の軍艦を作ってるじゃないか。この軍艦はやがておまえの国を取りに行くんだぜ」 と言ったりした。ロシアの極東における侵略行為は、アメリカの無学な労働者の間にまで常識になっていたし、彼らは
「シナと朝鮮の次は日本がとられる」 というふうに、その情勢を理解していた。 もっとも、他の労働者が、 「なあに、桝本はスパイだよ。こいつはこの軍艦の底にドリルで穴をあけるために日本からやって来たのだ」 と、ひやかしたりした。 こういうのんきさは、それぞれが故国の束縛から離れてアメリカの市民社会の自由さの中で暮らしているという。そういうことが基盤になっているらしかった。彼らはたとえ桝本がスパイであってもかまわないのである。 もっとも桝本はスパイではなかった。日本海軍にとってロシア軍艦の性能、構造など、そのとしどしの海軍年鑑を見れば分かることであり桝本にそれを頼む必要はない。 桝本は造船技術を習得すればよかった。ただその練習台が、やがて日本海に浮かぶであろうロシア戦艦であるということだけが、めぐりあわせの奇妙さであった。 |