〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/27 (土) 

米 西 戦 争 (二十一)

このころ、後に日露戦争で活躍する四隻の軍艦が、アメリカで建造されていた。
    日本  二等巡洋艦 千歳
    同           笠置
    ロシア 戦艦     レトヴィザン
    同   巡洋艦    ワリャーグ
というものであった。このうち千歳と笠置は日露戦争のとき連合艦隊の第三戦隊に属して活躍し、レトヴィザンはロシアの旅順艦隊の主力艦の一つとして日本側に恐れられた。
ちなみに日清戦争が終わった後、日本政府は東アジアの国際情勢の緊張のもとに、大規模な海軍拡張をはじめた。
新しく建造される軍艦は、むろんそれを国内でつくる能力はない。国内でつくれるのは小艦艇だけであり、あとは外国に注文しなければならない。八十パーセントまでイギリスに注文することにした。あと十パーセントはフランスとドイツへ。残る六パーセントは国産、最後の四パーセントをアメリカに注文するにした。
「アメリカに注文することはなかろう」
という声はむろん、海軍内部にあった。なんといってもアメリカの建艦技術というものの評価がまだ国際的に高くはない。
ただ、日本にすれば将来の対露危機を想定する場合、アメリカを友好国にしておくという外交上の必要があった。そこで 「吉野型」 の快速巡洋艦をアメリカに注文することにした。あくまでも外交的配慮である。
その配慮は、実にこまかい、おなじアメリカの中でも日本人排斥運動のさかんなサンフランシスコの造船所に頼もうということになった。
この造船所とその値段を決めるについて、木村寿太郎の前任者の星亨が活躍した。様々な曲折をへて、千歳はサンフランシスコのユニオン造船所に、笠置はフィラデルフィアのクランプ造船所へ発注された。
このニュースは、日本の外務省が想像したとおりアメリカ人を大いに喜ばせた。日本側は、それが新聞記事になるように色々の手を打った。
例えば笠置の進水式は明治三十一年一月二十日に行われたが、日本公使館はこれを盛大にするため、アメリカの国務長官、海軍長官をはじめ関係要人を招待した。進水式のおの をふるう役には、ロング海軍長官の愛娘ヘレンに頼んだ。さらにフィラデルフィアでは同市で午餐会こさんかい を催し、帰路ワシントンまで食事車を一輛仕立てるという気の使いようであった。将来、もし日露間に戦いが起これば、日本としてはアメリカに調停役を買ってもらおうという外交的底意が、こんなところにまであった。
むろん、真之もこの進水式と午餐会に日本側の招待者の一人として出ている。
この二隻の巡洋艦はそれぞれ排水量四八〇〇トン、速力二二・五ノット、大小の速射砲が三十門も積まれているという点で特徴があり、将来海戦の場合にはその快速を利用して猟犬のように戦場水域を駆けまわり、その速射砲をもって敵の艦上を掃射するであろうと期待された。 

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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