〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/23 (火) 

米 西 戦 争 (十一)

スペイン人の悲哀の一つは、その海軍予算が少なすぎて砲術練習のための装薬がなく、どの艦のどの砲手も、実弾射撃というものをやったことがないことであった。
実戦で、その欠陥が露骨に出た。彼らは懸命に撃ったが、あたらない。
それにひきかえ、アメリカ人の砲弾はよく当った。戦闘開始後ほどもなくセルベラ座乗の旗艦インファンタ・マリア・テレサは戦艦アイオワの十二インチ主砲の砲弾を艦尾にくらい、艦の動脈というべき蒸気のパイプを一瞬で破壊された。白い蒸気が高く噴き上がり、それが火災になった。艦内は蒸気と火炎で兵員の戦闘行為がさまらげられた。火は弾薬庫におよぼうとした。
── このままでは艦も人も粉々になって吹っ飛ぶ。
と、たれもが思った。セルベラ少将は艦を座礁させようとした。陸に向かって突進した。が、それよりも早く火が前甲板まで覆った。セルベラは、総員に脱出を命じた。
人びとは海に飛び込んだが、艦のみは炎を背負って進む。やがて艦がカブレレラ岬岸辺に乗り上げたころには、海面に浮いているスペイン水兵たちはアメリカ艦隊の救助員に救われた。セルベラもアメリカの砲艦に救われ、あとで戦艦アイオワで手あつくもてなされた。
スペインの二番艦のアルミランテ・オケンドウも、ほどなくよく似た運命に陥った。集中砲火のために大火災を起こし、旗艦と同様、岸に向かって走って擱座かくざ し、乗員は捕虜になった。
その他の艦も、逃走中を次々に捕捉されまるで犬が撲殺されるようにして沈められた。
結局、スペイン艦隊はぜんぶ撃沈または拿捕だほ された。
真之は、他の観戦武官と共に運送船の上からこの海戦をしさいに観察し、ノートをとった。
五日、真之は他の観戦武官と共に、スペイン側から戦いの実態を聞き取るべく、仮装巡洋艦ハーヴァードにランチを乗りつけ、同艦に収容されている捕虜たちを慰問した。
戦いが終わればスペイン人たちは気さくで話ずきだった。
「なんでもお聞きください。話すことを許されている範囲内で答えましょう」
と言ってくれたのは、旗艦インファンタ・マリア・テレサの乗組士官だったアザール少佐であった。
「サンチアゴ要塞は、どういう程度の防御力を持っていましたか」
と尋ねると、
「あれを要 塞ストロングホールド といえるでしょうか、以前からあったキャスル ですよ。ほとんどがレンガづくりでベトン (コンクリート) でつくられた近代要塞ではありません。われわれ艦隊がサンチャゴに入るに当って大急ぎで補強しましたが、補強といっても土塁です。土塁を六つつくっただけdす」
その程度のものにアメリカ艦隊は四千発の艦砲を撃ち込んだが、ほとんど損害らしい損害も与えられなかった。この戦訓によってみても要塞に対して海上からの砲火は無駄であり、結局は陸上から攻めねばならないことを真之は知った。これが旅順攻撃で生きる。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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