〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/23 (火) 

米 西 戦 争 (八)

セルベラ少将のスペイン艦隊は、相変らず港内にすくんでいる。
港外では、サムソン少将のアメラカ艦隊が様々な運動を繰り返しながらそれを封鎖している。
サムソンは、麾下きか の艦隊に砲撃もやらせた。
港外から港内の敵を撃つ。目標府確認のままの遠距離射撃であり、当然あたらない。
あたらないことを承知のうえで、サムソンはそれを命じつづけた。サムソンの封鎖灌漑はオオカミの群れのようなものであろう。咆えることによって港内の敵のきも をちぢみあがらせ戦意をくじこうとする一方、自軍の士気を高めようとしていた。
いろんな射撃法をとる。時には艦を静止さて撃ち、時には車がかりの戦法のように各艦ごと環航してきては一定地点にさしかかると発射する。
「なんと、ぜいたくな海軍か」
と、スペイン艦隊の連中は敵のほとんど際限もない砲弾の使用ぶりにあきれる思いがした。五月末日から六月中旬までのほんの十数日の間にアメリカ艦隊が使った砲弾使用量は約四千発であった。それほどの鉄量を叩き込んだ割には、港内のスペイン艦隊に与えた損害は記録するにも足りない。
スペイン人たちは、よくこの威嚇いかく に耐えた。この状況下でのスペイン艦隊ほど無意味な時間を送った艦隊は古来まれであろう。港外に出れば、撲殺ぼくさつ される。
かといって港内で艦隊保全につとめていても、作戦の将来に希望があるわけではない。ふつうこのような海上籠城ろうじょう 作戦は、時間を稼ぐことによって味方の強力な艦隊の来援を待つというところに意味があった。日露戦争の場合のロシアの旅順艦隊がそうであろう。
旅順艦隊は、旅順港内に息をひそめ、東郷艦隊はそれを封鎖したが、旅順艦隊にとって大きな希望があったのは、味方のバルチック艦隊ははるばる喜望峰をまわって極東にやって来てくれるということであった。が、セルベラのスペイン艦隊には、それがない。
「たとえ目の前に希望がなくとも艦隊は保全させるべきである」
という考え方をセルベルはとった。艦隊が出港すれば全滅する。艦隊が全滅すれば米西戦争はそれで終了である。艦隊さえ保全して気長に時間を稼げば、本国がヨーロッパにおいてやっているであろう外交活動が、どういう政略上の展開を見せるかもしれない。第三国が仲裁に立ってくれるかも知れない。
一方、サムソンは多少あせっていた。軍事的にはどういう意味からもあせる必要はなかったが、アメリカの納税者たちの感情、とくに黄色新聞イエロー・ペーパーが掻きたてている大衆世論が、サムソンの手ぬるさを許さなかった。
── なぜ港内へ突っ込まないのか。サムソンには勇気がないのか。
と、わめき散らしていた。サムソンは、むろん艦隊の責任者としてそういう愚は避けようとしている。港内に突入すれば少なくとも一艦は二艦はやられる。せっかく敵に対して優勢を保っている艦数と火力が低下する。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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